「ピンチョンのまなざし」その18
- 作者: 鎌田遵
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/01/20
- メディア: 新書
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M&Dの時代設定は、ちょうどイギリスやフランス、オランダからの入植者が、「新大陸発見」以来
地盤を固めて来ています。なお、西部のほうでは、ネイティブ・アメリカンとの抗争が継続。
不動産や交易の利権をめぐって、本国の王様まで絡んで、ややこしいドタバタが起きている。
いまのところ、正面切って、ネイティブ・アメリカンが登場することはないが、物語の重要な
背景にはなっていると思います。本エントリーでは、彼らを取り上げたいです。
Dance with Wolfs
この映画は、従来の多数派アメリカ人がもっていた「ステレオタイプな先住民」の
イメージに対する「ある程度」の健全なカウンターパンチになっていたと。
私が、幼年期の時、そんなこと意識していなかった映画です。
ただ、映像がよかったなと。今度は、ちょっと違う角度で鑑賞したいな。
イロコイ族とか。ジョン・スミスとポカホンタスの悲恋物語っぽいものや。
以前のエントリーでもディズニーのアニメーション映画を取り上げたりしています。
本書では、「ステレオタイプ」の典型は「駅馬車」だったと。
これまでの取り上げ方では、あくまでもイギリスの東インド会社のような交易会社が
世界展開を始めて行く中での「一翼」という扱いで、アメリカの当時の歴史について扱っていました。
今度は、インディアンを正面から扱ったいい本を探していたところ、本書を発見。
最初はイギリスの近代史を取り上げた新書を購入しようかと思ったのですが、ほとんど偶然
手に取ったこの本を選びました。
「本を執筆するにあたって、たくさんの手間暇をかけて、しっかり読書研究を積んでいるかどうか?」
これは「参考文献」をみると、分かる。
なんと、ほとんどの文献が、英語文献。少なくとも、大量の英語を読む力量はあるのねと。
「本を執筆するにあたって、本が扱うテーマの当事者になっている人から、話を聞いているかどうか?」
これは評価の別れるところだろうけど、これだけ、現代政治のど真ん中にあたるテーマを扱うとなると
大事なポイントになるのではないかと思う。
筆者はここでも、希有なのではないかと思うくらい、NAの人たちと日頃から綿密な連絡をとり、
関係を気づき上げてきた節がある。
「扱っているテーマに関連している人たちは何者か?または、扱っているテーマに関連している団体は何者か?」
これも、思いっきり、人によって価値観が別れるところかもしれないけど。そもそも
「では、人をどうやって判断するのか?」
「団体の当否をどうやって判断するのか?」
いろいろ出てきます。
「資本論」という書物の書評を見ていたら、「財務省」の職員が出てきたとか。
大江けん三郎という人の小説の書評をちらっと見たら東大教授が出てきたとか。
英語の教科書には、先住民を取り扱ったトピックが多いとか。
ということは、取り上げている話題には、文部科学省の合意が存在しているのかとか。
だとしたら、話題としてあまりにも煮詰まっていて、新規性がないから、「研究」に値はしないのかどうかとか。
とにかく、「乱読」も大事だけど、「全部」読むという、深い関連性に突入する前に、なるべく「無駄撃ち」を減らすには
どうすればいいのかを考える。
どんな人のブログで紹介されている書籍なのかどうかも、結構大事なポイント。
ただ、いま述べたことは、本を「選別」するプロセス。
ということは、偶然ひっかかる「掘り出し物」に出会える可能性が減って行く。
絞り込むと、新規なものは拾えない。
乱読に近づくと、時間のコストがバカにできない。
まずは、筆者のプロフィール
鎌田 遵
1972年生まれ
カリフォルニア大学バークレー校 ネイティブ・アメリカン学部卒業。
同大学大学院ロサンゼルス校アメリカン・インディアン学部修士課程修了。
同大学院公共政策・社会調査研究所都市計画学部博士課程修了。(都市計画学Ph.D)
現在 複数の大学にて非常勤講師
専門 アメリカ研究 アメリカ先住民研究。都市計画学
筆者の出身学部がユニークだなと。こんな学部あったんかいなと。
日本列島に住んでいるネイティブ・アメリカンはおそらくあまりいないだろうから。
どういう来歴があって、この学部を選択したんだろうって。
しかも、博士課程までとっている。ここで読者として引かれるのは、要素と要素の組み合わせ。
こういっては、語弊があるかもしれないけど、きっとネイティブ・アメリカンの境遇がまともな
ものではないだろうということに関しては、実は新味があるとはいえないかもしれない。
ところが、筆者の研究領域は「都市計画」。偶然にもMrYamagataと一緒。
「都市計画」が何をやる研究領域なのは知らないけれど、おそらく、「まともな都市環境を
構築するためにはどうすればいいのか?」ということを考えているのだろう。
そういう研究領域と、先住民の問題がリンクするというところに引かれた。
どのように繋がってくるのかということは、本書におまかせ。
まあ、平たくいうと、都市である以上、個人と個人、個人と政府の間で土地の所有権の分配を
どのように設定するのかということが避けて通れない。
じゃあ、ネイティブ・アメリカンの土地所有権はどうするのかと。
彼らには、彼らの歴史や伝統、文化、社会的ルールがあるのだと。
白人の人たちとは、違う統治原理で社会をまわしたいのだということになると、
彼らは、「州政府」や「連邦政府」からは独立した形の「部族政府」を作りたいということになる。
では、その「部族政府」の中身は法律的にどういう位置づけになるのかと。
アメリカの政治の歴史でよく取り上げられるのは、「連邦政府」と「州政府」の間の権限の分配。
こういったリーガルな問題が大好きな国民性ということで。
NAと連邦・州政府との間の駆け引きも、当然のごとく、法的な形をとって勧められます。ううせk
一つの社会に、いろいろな人がいたほうがいいのか、それとも、バラバラな人がおしくらまんじゅうで
いるほうがいいのか。前者をとると、「同化政策」という形をとり、後者をとると、色々なコミュニティに
「自治」を認めるということになる。
でも、対立の軸はそれでは終わらない。
「旧世界」から渡って来た白人の中にも、「富める」白人と、「貧しい」白人の対立があったように、
NAとNAの間にも、部族政府のあり方や、部族・連邦政府間の交渉のあり方、貧富の格差を巡って
対立が存在しているのが、活写されている。
目次
はじめにー最底辺の民たち
地図・年表
第1章 ネイティブ・アメリカンとは誰か
1−1 移民の国の先住民
1−2 部族員とは誰か
第2章 先住民の国家
2−1 他民族社会のなかの「部族」
2−2 ネイティブ・アメリカー先住民の大地
2−3 つくられた部族
2−4 連邦政府の承認
第3章 追われゆく先住民
3−1 国家建設への貢献
3−2 「良いインディアン」になるために
3−3 切り刻まれた大地
第4章 民族自決への美智
4−1 部族改革の裏側で
4−2 「アメリカ人」になるために
4−3 自決をもとめる動き
第5章 つくられる先住民像
5−1 野蛮から英雄へ
5−2 塗り替えられた過去
5−3 外見だけの先住民
5−4 誰にとっての先住民文化か?
第6章 負の再生産
6−1 貧困の暮らしの中で
6−2 現実逃避の果てに
6−3 「辺境」の人々
第7章 「辺境」からの挑戦
7−1 核と先住民
7−2 起死回生の生き残り策
7−3 先住民社会の格差
7−4 「辺境」からの挑戦
おわりにー先住民の声
あとがき
おもな参考文献
2006年12月、フロリダ州のセミノール族は、イギリスのランク・グループから、ハード・ロック・カフェの事業を買収した。買収額は9億6500万ドル。人口3300人の部族による事業としては巨大である。この買収は東京の六本木にも店舗をもつハード・ロック・カフェの経営が、セミノール族の事業傘下に入ったことを意味している。
思いもしなかった結びつき。飲食・カフェ・カジノ。広い意味でのエンターテインメント事業に、実は先住民の人たちがいた。
生活基盤を確立するために、事業をやろうという、私からみると堅実な動きがあったと。
部族がカジノであげる利益は、年々増加の一途をたどっている。全米インディアン賭博評議会の報告によると、部族が所有するカジノの総収入は、1988年は2億1200万ドルだったが、2002年んは147億ドルに激増し、米国全体の賭博産業総収入の21%に相当するまでになった。
「迷惑施設の誘致」
べつの迷惑施設受け入れの礼では、カリフォルニア州南部のカンポ・インディアン居留地がある。ここもまた、大都市から離れたところにあるため産業に恵まれず、雇用促進と経済の活性化を目当てに、産業廃棄物貯蔵施設の受け入れに合意した部族だ。周辺にすむ白人コミュニティは強硬に反対し、部族は地域社会の中でさらに孤立する結果を招いた。
環境問題の専門家であるダン・マクガハンによると、1987年のカンポ族の失業率は79%、仕事についている半数以上が、7000ドル以下の収入しか得ていなかった。さらに部族政府の予算は鉱山と牧場に賃貸料からL1万5000ドルに限られていた。しかし、産業廃棄物処分場を建設した1993年には、部族の収入が70万ドルに笛、部族員の失業率は30%に減少した。
本書を白眉にするかどうかの選別のポイントには、
「共感」「そうだよな」「わかるわかる」と思えるかどうか。
ここも生々しい話だけど、3.11以降こういったヤバめの施設をどこに設置するのかということも、実施された選挙の
重要なポイントになってきました。
どうも、あっさりと看過するには気持ちの悪い、アメリカの一つの一面が、わかるのではないかと思います。
私は、このブログでは、あえて、こういった側面をとりあげていません。
どちらかというと、「なぜ、アメリカの経済力や軍事力が圧倒的なのか?」という問題について
主に、教育の側面から、自分なりの解答を作り上げたいという問題意識もあります。
そう、このブログで取り上げる以上、私が自ら関与している「教育」にも関連しているかどうかは見ます。
先住民が、スムーズにアメリカ社会で通用するかどうかというのは、それも
ひとえに、彼らがまともな学歴を得ているかどうかという問題にリンクしています。
こういうことも、むしろ、日本社会よりも、外国のほうがあからさまにわかるということがあるのかなと。
あえて、引用するテキストは設定しませんが。
いずれにせよ、しばらく時間をおいて、まとまった形で本書を紹介しました。
「一押し」です。