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数学をどうして履修する必要があるのか。
まあ、永遠の疑問の一つではありますが。
はっきりいって、数学を仕事をこなすためのスキルとしてみることを高校生などにわからせるのは、無理な
ことなのかもわかりません。
数学の問題を解くというスキルもお金になります。
数学の問題が解けるように教えるというスキルもお金になります。
下記の引用に出てくる「数学の先生」は、結構そこらへんにいるので、わかりやすいけど、
「数学の問題を解く」という一見、受験生と同じことをやっている人たちが、それをお金にしているという
ことは、かなりわかりにくいのではないかと思う。
こうやって、書いている私もそうです。
スキルにまでなる、問題を解く力が、立ち向かっている問題が、受験数学の想定している「問題」を
はるかに超えるほど、複雑になっているということが、さらに、話をわかりにくくしている。
数学者とは何者かということを考えるとき。
一部の例外は、除くとして、
「数学の問題を解くスキル」を「ウリ」にしている。
プラス
「給料を大学からもらっている」
この二つの基準をパスしているかどうかを、みると、わかりやすいのではないかと思う。
この基準から外れて、「数学者」を名乗る人がいたら、それは、「自称」「数学者」だと
私は、考える。
早速どーでもいいギモンなんですが…
物理学者などの『学者』って、どうやればなれるのでしょうか?←自分はまったくなる気はないんですケドっ
山本先生は『先生』ではあるけど、数学『学者』ではないのですか?
→学者というのは例えば未解決の問題を学問として研究されている方達のことです.
山本は例えば趣味で学者の方たちが考えておられることを自分なりに考えたりすることはありますが,
それについて研究しているわけではありませんからももちろん学者とは言えないですね.
先生というのは今まで構築されてきた学問体系を君たち若者に伝えることを仕事にしますが,
学者はその最前線で未知の学問体系を探っている人と思えばいいかもしれませんね.
こういう素朴な問題意識に、ある意味正面から応えているのではないかと思う本をご紹介。
いまをときめいているJALの機内で読みました。
アタリだと思います。
- 作者: サイモンシン,Simon Singh,青木薫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/05
- メディア: 文庫
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ある問題に対して、取り組むとき、取り組んでいる人間にその資格があると考えていいかどうかは、チェックすべきだと思う。
フェルマー予想という「証明問題」は、大学に入って、数学科というところにもぐりこんで、色々な講義を聴いて、たくさんの教科書を
読んで、「準備」をしないと、満点解答を完成させることはできない代物なので、当然、数学に免疫のない人間が、フェルマーについて書いても、
眉唾になるわけです。
このサイモン・シンという人は、果たして、フェルマー予想のような整数論の絡んでくる数学をどこまで、やりこんだ人なのかは、本書に参考文献も何も
出てきていないので、なんともいえませんが、「素粒子」を研究するだけの数学は勉強したのだなということが学歴から判断できます。
パンジャーブからの移民である両親の元、イギリス南西部サマーセット州に生まれる。 インペリアル・カレッジ・ロンドンで学び、その後ケンブリッジ大学大学院にて素粒子物理学の博士号を取得。 のちにテレビ局BBCに就職し、ドキュメンタリー番組『フェルマーの最終定理――ホライズンシリーズ』にて各種の賞を受賞した。後にこの番組はエミー賞にもノミネートされた。
この時の取材を元に書下した『フェルマーの最終定理』も高い評価を受けベストセラーとなる。 その後の著書も好評で一般向け科学書ではトップクラスの評価を得る。
現在もサイエンスジャーナリスト、プロデューサーやラジオ番組のパーソナリティとして活躍している。
東京大学の理科系の数学の入学試験前期は、150分で、120点満点の試験になっております。
wikipedia:東京大学の入学試験
http://hwm5.gyao.ne.jp/yonemura/t_pdf/09zs.pdf:東京大学 理系2009年度 前期日程
どうやら東京大学の理系は、1問25分で解答することが求められているようです。
これが、フェルマーの予想という問題に対する数学者の取り組みになると。
解答時間 →無制限
筆記用具だけ→本を読んでもいいし、世界の誰にでも質問してもいいし、どんな場所で解答してもいい。(フェルマー予想に勝利したワイルズさんは自宅でがんばったそうです。)
解答者→ 別に1人で満点解答を完成させなくてもいい。というよりできない。入試数学だったら、「部分点」にあたる解答を書くことができるだけでも立派。
本書で登場する「部分解答者」のみなさんは、豪華そのもの。
最終確認していないが。
問題作成者→ フェルマー
最初の部分点らしいもの →オイラー
その後に、無数の部分点が、幾多の数学者に積み上げられて。
東京大学で数学を研究している人が、フェルマーの予想とは無関係に、「谷山・志村」の予想という「〜かもしれない」という仮説のようなものを出す。→場外乱闘だと思うけど、かなり大きい部分点
この「予想」が正しかったら、フェルマーの予想が、単なる予想ではなくて、「定理」として「証明可能」だということを、ワイルズ以外の数学者が「証明」する。
(ここでも、あと一歩というところまで結論までのステップがみえかかったけど、最期のワンステップは、友人の数学者に、「こうすればQED」という示唆はもらっていた。→ステップが飛んで、答え・結論だけ書く答案
ここまでで、部分点が、かなり積み重なっている状態になる。
そして、ここまでに、「答案」が仕上がるのに、300年くらいの時間がかかったところが、入試数学と違うところ。
しかも、この「答案」に果たして、「満点」がありえるのかどうかは、世界の誰にもわからないという状態が続く。
あとは、「谷山・志村予想」が、予想ではなくて、「定理」として「証明」できるということを、
「答案」にして、満点をもらえれば、そのまま、「フェルマー予想の答案の満点答案の作成につながる。
ここまできて、「谷山・志村予想」の扱っている単元についてプリンストン・オックスフォードで研究していたワイルズさんは、
「よっしゃ、おれがやったる」
と、8年間かけて、「満点答案完成」目指して、「受験」する。
とは、いっても、ワイルズさんだって、別に、本当に1人で、自分の頭の中で浮かび上がる知識だけで戦うのではなくて、
他の国の人が、編み出した計算方法のテキストで、計算方法をマスターしたり、
遠い昔にフランスで死んだ数学者の発想を応用したり、
日本人数学者の理論を勉強して、自分の証明問題に応用できないか、試行錯誤するという「作業」をする。
証明の詰めの詰めの段階になると、さらに友達を呼んできて、自分の証明に用いる計算があっているかどうかは、やはり大学での講義という形式を活用してチェックする。
ここまでのステップを踏んで、ようやくワイルズさんは、その研究結果を世界に向けて発表。
「採点官」は、世界の数学者。
満点解答になっているかどうか、チェックする。
どうやら、一箇所、論証に問題がある。
それを訂正するのに、また1年以上。
もう一回、採点してもらって、ついに満点。
答案完成。
読んでいて、自分が答案の採点官のつもりになる。知識的に無理だけど。
どうも、谷山豊という若くして死んだ数学者が決定的だったのではないかとふと思う。
もっと、いえば、フェルマー予想を制服した一番の英雄など、いるのだろうかとさえ、考える。
問題に貢献した人たちがあまりにも多すぎて、論功行賞ができない。
これは、大企業的な仕事というものすべてについていえるのだろうけど。
Googleという会社がやっていることも、もう「個人の業績」という次元では考えられなくなっている。
全世界の優秀な理工系学生の集団のプロジェクトとしかいえなくなっている。
Faculty | Department of Mathematics
関数という考え方が理解できたら、金融について知ることができるということについて。
在米日本人数学者のブログ
イールド・カーブからイールド・サーフェスへ - 統計学+ε: 米国留学・研究生活
資本市場についての知識が莫大な収益を上げることについて。
金融破綻を招いた米系金融機関が反省無く儲かってる件 - My Life After MIT Sloan
日本の新聞などに載り始めたので、そろそろ書いても良いだろう。
(MBAで知ったことも全て書けるわけじゃないので・・)
2009年下半期は、米系金融機関がありえないほど儲かった様子。
「回復」どころじゃない、歴史的な儲け。
昨年末の米系投資銀行の多くが、またボーナス数千万とかいっちゃったことでしょう。
一方で家も無く年を越す人がたくさんいるのにね。