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- 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
- 発売日: 2009/07/17
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この映画の脚本は、以下のリンクでみることが出来ます。
CHRISTINE
Why not? Three boys made a run for
it that night, Detective. If one
got out, maybe either or both of
the others did too. Maybe Walter
went through the same fears he did.
Afraid to come home or identify
himself, afraid he'd get into
trouble, that people might think it
was his fault. Either way, it gives
me something I didn't have before
tonight.
YBARRA
What's that?
She looks at him...and smiles.
CHRISTINE
Hope.
チェンジリング (changeling)
取り替え子。ヨーロッパの民話で、妖精が人間の子供をさらった後に置いていく妖精の子供。転じて嬰児交換の意味でも用いられる。ブラウニー、フェアリー参照。
主人公のコリンズは、電話局のオペレーターをしながら一人息子ウォルターを育てるシングル・マザー。
ウォルターの父親は、ウォルターが生まれてから、蒸発してしまった。
コリンズは、緊急の仕事を頼まれて、ウォルターと映画を見に行く約束を守ることができず、
一人、彼をおいて、仕事にいくことになった。
このわずかな隙をついて、ウォルターは行方不明になる。
コリンズは、混乱の最中において、警察に必死で通報。
いかにも役所的な口上を、盾に動きが鈍かったものの、警察は、コリンズの息子だという一人の男の子を
コリンズの前につれてくる。
しかし、彼女は、直感的に、彼がウォルターではないということを察する。
果たして、自宅に連れ帰って、本物のウォルターの身長が記録されている柱に立たせたり、
入浴中に、彼の陰部をみて、ウォルターにはないはずの割礼が施されていることを確認する。
ウォルターを診察している歯科医も、警察が連れてきた少年の歯は、ウォルターのそれではないことを
証言する。
ウォルターを担任する学校の先生も、警察が連れてきた少年が、まず担任教師である自分の名前を知らないことや、
1年以上、いたはずの自分の教室における座席を把握していないことなどをコリンズの前で示してあげて、
彼が、本物のウォルターであるはずがないと証言する。
コリンズが自分自身で見つけ出した証拠や、ウォルターを深く知る関係者の証言を総合して、
今、自分の目の前にいる少年が、ウォルターであるはずがないということを、彼女は、全力をあげて、
警察の責任者に訴える。
本物のウォルターがまだ見つかっていない以上、ウォルターを捜索する手続きをすぐに再開するように
警察に働きかけることになる。
しかしながら、警察組織には、警察組織の事情がある。
彼らが、コリンズに、「ウォルター」という少年を引き渡したとき、警察組織は、
自らの市民社会への貢献度をアピールするために、コリンズと「ウォルター」の再会の場面を
大々的に、マスコミに公開していた。
いまになって、コリンズの言い分をうけいれて、ウォルターの捜索を再開するとなると、
それはそのまま、警察組織の落ち度を、外部にさらすことになる。
警察組織の信用失墜をうけいれることができない警察組織は、
警察とつながりのある精神科の医師を動因する。
今、目の前にいる少年は、「ウォルター」ではないと言い張るコリンズに、「精神異常」をわずらった患者であるという
レッテルを貼り付けて、彼女の、警察への攻撃を無実のものにしようと、画策する。
コリンズを支援する教会、警察を影で支える政界、もろもろを巻き込んで、
「ウォルター」の事件は、周囲に波紋を及ぼしていく中、
警察組織は、またひとつの、不法移民事件に遭遇する。
逮捕されたカナダ国籍の少年が、
「自分は、とある男に脅されて、20人以上の児童の誘拐殺人に手を貸した」
という自白をする。
警察は、被害者である児童の遺体がうまっている場所に、少年に誘導してもらい、彼に遺骨や、被害者の遺品を
発見させる。
この少年は、自分が手を貸した児童の誘拐殺人の被害者のなかに、ウォルターの顔写真とよく似た人物がいたという
証言をする。
警察がこのような情報をつかんだということを、コリンズを支援していた教会もキャッチする。
そして、この一件によって、コリンズを、医師を動因して追い詰めていた警察組織も彼女に手を出せなくなる。
また、この誘拐殺人事件の被害者の遺品が発見されることによって、警察組織が、コリンズに送り届けた
少年が、「ウォルター」であると言い張る根拠が、一挙に弱くなった。
警察は、急いで、「ウォルター」の実の母親であるという人物を探し出して、「ウォルター」を彼女に引き取らせる。
不法移民の少年の証言をもとに、誘拐殺人事件の実行犯の疑いのある人物もバンクーバーで逮捕される。
ウォルターの失踪事件に関連して、ロスアンゼルスでは二つの集まりが進行することになる。
ひとつは、政界における警察組織の、今回の失踪事件の不始末と、その不始末のもみ消しのために彼らが
コリンズに行った仕打ちについての責任問題を議論するための公聴会。
そして、もうひとつが、被害者に「ウォルター」がいると疑われる児童誘拐殺人事件の被疑者の、殺人事件を審議するための
裁判。
前者は、警察組織における担当者の責任を全面的に認める結論が出ておわる。
そして、後者の刑事裁判においても、有罪・絞首刑が確定する。
しかし、殺人事件の被告人は、裁判における弁論の直前において「自分は、ウォルターの殺害・死亡には関与していない」
ということを、言い張る。
死刑囚になった被告人は、自分の絞首刑が実行される直前になってから、コリンズに会いたいという面会のリクエストを出す。
コリンズは、周囲のサポートを得ながら、この面談を実現する。
彼女は、ウォルターの行方についてもっとも確信的な証言ができるはずの最後の一人に、ラストチャンスで会うことになるが、
彼は、とうとう、面談になった途端に彼女にウォルターについての事実を証言することを拒否。
こうして、死刑囚は、ウォルターについて何も語ることなく、絞首刑に処されることになる。
数年後、解決をみた児童誘拐殺人事件の現場から逃げおおせたという少年が、警察に保護されたというニュースがコリンズの下に飛び込む。
警察に保護されたその少年は、ついに、ウォルターについての証言をすることになる。
「自分は、誘拐犯の自宅・牧場に監禁されていた。そしてそこで、クリスティン・ウォルターという名前の少年にあった。自分は、彼と、ほかの少年、合計3名で
誘拐犯の居場所からの脱出を試みた。そして、自分は脱出の際にウォルターに助けられた。ただ、自分以外の2名が、はたして無事に助かったのかどうかはわからない」
クリスティン・コリンズは、この少年の証言を聞くことによって、自分の息子「ウォルター」がまだ生きているのではないかという最後の希望を見出す。
そして、映画は終幕する。
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この映画は、裁判というもののあり方を、とてもわかりやすくあぶりだしていると思う。
裁判というもののあり方というより、人が、あるがままの事実を知ろうとするときに、どれだけ多くのハードルや壁に
さらされるのかということを、つきつける。
この話は、実話をベースにしているというが、その映画の売り文句に真実味を持たせているのは、そういう面だと思う。
果たして、クリスティン・ウォルターという少年は、母親であるコリンズの前からその姿を消して、一体どうなってしまったのかという
ことは、映画が始まってから、その終幕まで、とうとうあいまいな霧の中におかれたままになる。
クリスティン・ウォルターがどうなったのかということは、彼をしる関係者の証言のパズルを寄せ集めることで、
「推測」が出来るのに過ぎない。
クリスティン・コリンズが、自分の息子であるクリスティン・ウォルターの行方の手がかりをつかむとき、
母と子の間にある愛情が、一瞬の輝きを見せると同時に、
現実というものが、多くのことあいまいにしたまま、ただなんとなく進行するという気持ち悪さもまた、強く胸に残る。