wikipedia:William Herschel

He also coined the word "asteroid", meaning star-like (from the Greek asteroeides, aster "star" + -eidos "form, shape"), in 1802 (shortly after Olbers discovered the second minor planet, 2 Pallas, in late March of the same year), to describe the star-like appearance of the small moons of the giant planets and of the minor planets; the planets all show discs, by comparison. However, it was not until the 1850s that 'asteroid' became a standard term for describing certain minor planets.

「アステロイド」といいますと。
シューティングゲームの「基本」
ゲームプログラミングにはまった人たちが入門的に
つくるゲームの型みたいなもん。


この「アステロイド」という言葉を、星空を眺めて
造語した人。
Mason&Dixsonでは、このように多くのAstronomer(天文学者)たちが登場しています。
MasonがStarGazerだからということで当たり前か。
フランス人の天文学者とかも出てくる。
本職は弁護士で、趣味で天体観測とか。
なんか、いまでもそういう人、たくさんいそうな気がする。

“Will there be savages?” William asks.
“Will you be afraid?” “Yes,— and maybe.”
“Will you have a Rifle?”
“I’ll have a Telescope.”
“they’ll think it’s a Rifle.”

著者インタビュー:嶺重慎先生

嶺重  便利かもしれないけど、危険です。近づいたらただではすみません。
 余談ですが、本書でも紹介した、米国のジョン・クレイグ・ホィーラー先生は、ミニブラックホールに関するSFの本を書かれています。
 ある博士がブラックホールを製造したというお話。ご存知かどうか。(日本語訳も出版されましたが、今、手に入るかどうか。訳者は、野本陽代さんです。)
白田  先生が師事された「クレイグ」先生のことですね。
 残念ながら存じあげてないのですが、雀部さんはいかがでしょうか?
 bk1やAmazonでも調べてみたのですが、引っかからなかったものですから。
雀部  光文社文庫の『ブラックホールを破壊せよ』じゃないでしょうか?
 そうなんだ。これは第一線の科学者が書かれたフィクションなんですね。
 アメリカの科学者は、けっこうこういうSFを書かれますよね。それに比べて日本の科学者は、あまり小説を書かれたりはしないようですが、やはりこれは風土の違いなんでしょうか?(全然ブラックホールには関係ないですが^^;)
嶺重  すみません。ただ、風土の違いというのは確かにあると思います。外国に出て肌で感じたのは、皆、学問を楽しんでいるということ。日本は、難しいことが「きちんと」理解できるまでひたすら修行するという学生時代だったので、その点は新鮮でした。海外では、皆、結構いいかげんなことを言っている。
 そのものを信じているわけではないが、自由な発想の中から、100に1つか、1000にひとつか、次世代の学問の流れを作りだす、ものすごいアイデアが生み出されるというのが、欧米の学問の強みのように思います。そのことと、自由な発想でSFを書くというのと、共通するように思います。
 ところで、クレイグ先生の元の本の題名は、「クローン博士の実験」でしたが、それでは日本では売れないというので、日本語では、やや過激な題目になってます。

wikipedia:Gregorian calendar

Day of the week for a date in different years
Common years always begin and end on the same day of the week, since 365 is one more than a multiple of 7 (52 [number of weeks in a year] × 7 [number of days in a week] = 364). For example, 2007 began on a Monday and ended on a Monday. Leap years end on the next day of the week from which they begin. For example, 2008 began on a Tuesday and ended on a Wednesday.
Not counting leap years, any calendar date will move to the next day of the week the following year. For example, if a birthday fell on a Wednesday in 2006, it fell on a Thursday in 2007. Leap years make things a little more complicated, and move any given date occurring after March two days in the week on the following year, "leaping over" an extra day, hence the term leap year. For example, 2008 was a leap year, so calendar days of 1 March or later in the year, moved two days of the week from 2007.
Calendar days occurring before 1 March do not make the extra day of the week jump until the year following a leap year. So, if a birthday is 15 June, then it must have fallen on a Friday in 2007 and a Sunday in 2008. If, however, a birthday is 15 February, then it must have fallen on a Thursday in 2007, a Friday in 2008 and a Sunday in 2009.

「日暦算」というのがあります。
それと「閏年」が中途ではいって、「△年後の□月○日の
曜日を出しなさい。」
とか。
上記のところは、この計算を多少はスピードアップ
させてくれるような項目が掲載されていると。
個人的には思う。
月日の数え方というものに、いくつもの方法があったのだと。
時代と場所により、違ったと。
そうすると、どの数え方を採用するのか?
地球が実際に太陽を1周するのにかかる時間と、
暦が1年と「規定する時間」にずれが生じる場合に、
そのずれをどうやって補正するのか?
統一的に採用するとして、どうやってバラバラだった
数え方をまとめ上げていくのか。ユリウス暦を採用するのか、はたまたグレゴリー暦を採用するのかで同じ日時を
指す月日がずれる場合、一方に統一するときに
どんな問題が生じてきたのか?
どの暦が、どの国で採用されるのかということに関して、
キリスト教会の人たちはどのように関係してきたのか?
様々な地域の歴史や政治的事情がどのように絡んできたのか?
ひたすらそういうことが書かれている記事になります。
カレンダーや暦を無視して生活できる人はそうそう
いないわけですから。
生活に密接に関わるものの歴史の一コマを
振り返ってみましょうという。
そんなエントリー。

George Parker, 2nd Earl of Macclesfield, FRS (c. 1695 or 1697 – 17 March 1764) was an English peer and astronomer.
Styled Viscount Parker from 1721 to 1732, he was Member of Parliament (MP) for Wallingford from 1722 to 1727, but his interests were not in politics. In 1722 he became a fellow of the Royal Society, and he spent most of his time in astronomical observations at his Oxfordshire seat, Shirburn Castle, which had been bought by his father in 1716; here he built an observatory and a chemical laboratory.
He was very prominent in effecting the changeover to the Gregorian calendar, which came into effect in 1752. His action in this matter, however, was somewhat unpopular, as the opinion was fairly general that he had robbed the people of eleven days. When his son ran for parliament as a Whig in 1754, resentment over his role in the calendar reform was one of many issues raised by the son's Tory opponents; a famous 1755 Hogarth painting influenced by the events of these elections is the main historical source for the "Give us our eleven days" slogan.

wikipedia:Horace Walpole
フランス革命が勃発したとき、イギリスの政治家だったようです。
フランス革命が引き起こした政治的な顛末に対してはかなり否定的。
ギロチンに駆けられたマリーアントワネットに同情的な記述が見られる。
この人が残した書簡などは、歴史家の重要な資料になっている模様。
日本の感覚でいったら「世襲議員
そんなに、駆り立てられて勉強するわけでもなさそうな。でもスマートみたいな。

Indeed, Madam, I write unwillingly; there is not a word left in my Dictionary that can express what I feel. Savages, barbarians, &c., were terms for poor ignorant Indians and Blacks and Hyaenas, or, with some superlative epithets, for Spaniards in Peru and Mexico, for Inquisitors, or for Enthusiasts of every breed in religious wars. It remained for the enlightened eighteenth century to baffle language and invent horrors that can be found in no vocabulary. What tongue could be prepared to paint a Nation that should avow Atheism, profess Assassination, and practice Massacres on Massacres for four years together: and who, as if they had destroyed God as well as their King, and established Incredulity by law, give no symptoms of repentance! These Monsters talk of settling a Constitution—it may be a brief one, and couched in one Law, "Thou shalt reverse every Precept of Morality and Justice, and do all the Wrong thou canst to all Mankind"

wikipedia:Philip Stanhope, 4th Earl of Chesterfield

wikipedia:Robert Hooke
ニュートンのライバルだったそうな。
17世紀の人だから、あまり自然科学の研究分野の
細分化も進んでいない。

物理学の教科書に載っているような法則を導出するための
実験をしたり、思考実験をしたり。
かと思ったら、正確な時計をつくるためのバネの研究を
していたり。
顕微鏡を作って、植物の化石をみていたと思ったら
細胞の研究もするだの。
現代の感覚からするとかなり異様。そういう
時代。そしてこういう人が、ピンチョンの小説には
出てくる。

Their father John was a Church of England priest, the curate of Freshwater's Church of All Saints,[6] and his two brothers (Robert's uncles) were also ministers.

フックの家族には教会関係者が多かったようです。

To Busby and his select students the Anglican Church was a framework to support the spirit of inquiry into God's work, those who were able were destined by God to explore and study His creation, and the priesthood functioned as teachers to explain it to those who were less able. This was exemplified in the person of George Hooper, the Bishop of Bath and Wells, whom Busby described as "the best scholar, the finest gentleman and will make the completest bishop that ever was educated at Westminster School".

神様の創造物を探求することが「自然科学のプロセス」を通過してなされたので、聖職者がそのまんま自然科学者だったみたいな。DaVinciCodeな世界。

万有引力の法則だったっけ。
二つの物体はお互いに引き合う。
その引力は、二つの物体が近づけば近づくほど
強くなる。書いていて不安になってきたので、下記に
逃げる。数式も書いてあるよ。
wikipedia:万有引力

wikipedia:David Garrick
David Garrick (19 February 1717 – 20 January 1779)
こちらは俳優。
フランス生まれで、色々な事情でイギリスに流れ着いて、そのまま俳優。
駆け出しの時は、友達とワイン屋をやっていたと。
途中、ワインの仕事と、好きな演劇の上演の間でジレンマだったみたい。
芸術系のキャリアを志向する人にはよくあることだったんでしょう。
そして、ついにシェークスピア原作の演劇が有名な、Actorに。

wikipedia:Cock Lane Ghost

この物語は、高利貸しのウィリアム・ケント、教会職員のリチャード・パーソンズ、および彼の娘のエリザベスの3人を中心に展開した。ケントは妻のエリザベス・ラインスが出産中に死亡したのち、彼女の姉妹のファニーと親密な関係になった。2人は教会法によって結婚は許されなかったが、ロンドンへ引越し、パーソンズの所有する下宿屋に滞在した。そこにいる間、こつこつと叩く奇妙なノック音がしたり、幽霊のような幻影が現れたという報告があった。ケントはパーソンズに金を貸していたが、パーソンズはそれを返さず、ケントは彼を告訴した。
ファニーは妊娠し、2人は出て行った。それからノック音は聞こえなくなったが、彼女は後に天然痘で死亡した。約18ヶ月後、ケントはパーソンズへの貸付金に対する訴訟で勝訴すると、パーソンズは彼の家屋がファニーの幽霊に取り憑かれたと主張しだした。霊現象はパーソンズの長女エリザベスを中心にして現れ、「引っかきファニー」("Scratching Fanny")の真意を探るために正式な交霊会が開かれた。コック・レーンには面白がった見物客が集まり、しばしば通行不能になった。サミュエル・ジョンソンを含む調査委員会はこの問題を調査し、くだんの幽霊は詐欺だと結論づけた。さらなる調査で、この詐欺は父リチャード・パーソンズに強要されエリザベスが行っていたことも証明された。関係者は共謀罪で起訴され、パーソンズはさらし台で晒され、懲役2年を宣告された。
この話はメソジストとイングランド国教会との間の論争の的となり、現代文学でもしばしば言及された。チャールズ・ディケンズは著書の中でこの騒動に触れたヴィクトリア朝時代の作家の一人であり、風刺画家のウィリアム・ホガースは2つの作品でこの騒動を取り上げた。

どういう形で使われるかはまだわからないけど。
Wikiを見ていて、圧倒されたところ。
こんな事件があったんだなと。
読んでいると、Kentという人は相続目当てに
浮気相手を殺害したのではないかという容疑が
かかっていたと。
では、浮気相手を殺害した事実があったかどうかの
証言を、被害者の幽霊がするかどうかみたいな。
幽霊が実在するかどうかが問題ではなく、
こういう話題があったことにびっくり。
18世紀の半ばの事件。

「素敵な金縛り」という日本の映画を見たことが
あるけど、この映画では、たしか殺人罪が成立
するかどうかを巡る裁判で、被疑者の弁護士が
幽霊に証言台に立ってもらうというストーリー。

三角関係
相続 借金
宗教上の教義の争い。
そしてミステリー的殺人事件。
極めつけが幽霊。
そりゃ、この当時の作家が飛びついたのも
無理ないなって思う。

Against the Dayという小説を読んでから、
そのまま、ほとんど間髪をいれないで、別の小説を
読んでいる。
ちょうど、時代設定は18世紀の下旬かなと。
「世界史」的に、フランスとイギリスが
「新大陸」や「東南アジア」「南アジア」といった
地域で、植民地獲得競争に明け暮れているという
そういう時代。

小説読解の準備として、この時代に関する
雑学めいたものを、眺めている。
小説に1回登場するだけになりそうな歴史上の
人物名をWikipediaなどで読もうとすると、
それだけで、通勤電車の往復が飛んだりする。
ある意味、贅沢な時間の使い方だなと。
しかも、いいのか悪いのか知らないが、かなり
後半になってからおもしろいことを書かれている
ポイントを見つけたりする。
ある種の、宝探しに近いのかもしれない。
wikipedia:Robert Walpole
wikipedia:Robert Clive, 1st Baron Clive
二人とも、イギリスの政治家。
作中に、やたらとフランスが登場するのでどうしてだろうと
思っていたのだけど、ここの注釈を読んでいて、合点が
いく。
「大英帝国」というものが、建設されようとしている
時代。
頭の中だけは、イギリスモードになっているときに、
ブログでこんな記事を見かけた。
Inspirationとして、ここに挙げておく。
幼児化する政治とフェアプレイ精神 (内田樹の研究室)
メジャーなブロガーの中でもかなりの高齢に属するのでは
ないかと思います。
ブログを更新しようとする意欲があるだけ、同年代の中でも
エネルギーあるんじゃないかなって思う。
彼が、今年の衆議院議員選挙の党派争いに関係するコメントを書いているところで、偶然、イギリスの政治家の経験知
について触れているものがあった。

テニスで、相手がすべって転んだときにスマッシュを控えるのは英国紳士的な「フェアプレイ」であり、これができるかどうかで人間の質が判断される。
テニスの場合、強打するか、相手の立ち上がりを待つかの判断はコンマ何秒のうちに下される。政治的思量の暇はない。
フェアプレイ精神が身体化されていない人間にはそういうプレイはしたくてもできない。
だから、英国人は「そこ」を見るのである。
テニス技術の巧拙や勝敗の帰趨よりも、そのふるまいができるかどうかが、そのプレイヤーがリーダーとしてふさわしいかどうかのチェックポイントになるからである。

家庭教師的にいえば。
学習指導の上で、「さあ、机に向かうんだ!」みたいな
モードにもっていこうとするとき。
いろいろなやり方があるけど、たとえば
「朝、起床してから、かならず、掃除をしてから
机につく。」
みたいな、行動規範をまず、自動的に実行するように
しろ!
みたいな流儀がある。
「意欲」「勤勉さ」といったものを「身体化」させるという
ことなのかな。

ジョン・ル・カレの新作『われらが背きしもの』に興味深い場面があった。
オックスフォード大学で文学を教えている青年ペリーはバカンスで訪れたリゾート地の海岸で、ふとしたきっかけからロシアの犯罪組織の大物であるディマとテニスの試合をすることになる。
力量の差に気づいたペリーは少しのんびり試合を進めようとした。一方的な「虐殺」ではなく、家族たちが見守っている前で必死で走り回るディマのプライドを配慮して、ゲームらしいかたちに整えようとしたのである。
「サイドを変えたとき、ディマに腕をつかまれて、怒声を浴びせられた。
『教授、あんたおれをバカにしたな』
『僕が何をしました?』
『さっきのボールはアウトだった。あんた、それがわかっていたのに、わざと手を出した。おれはデブの半年寄りで、半分死にかけているから、手加減してやろうとでも思っているのか?』
『さっきの球は、ラインを割ったか割らないか、ギリギリのところでしたよ』
『教授、おれは賭けでテニスをやるんだ。やる以上、何か賭けよう。おれが勝つ、誰もおれをバカにしない。どうだ、1000ドル賭けないか?試合を面白くしようぜ』
『お断りします』
『5000ドルでどうだ?』
ペリーは笑いながら、首を振った。
『あんた、臆病者だな?だから賭けに乗れないんだな』
『たぶんそういうことですよ』とペリーは認めた。」
そして試合が終わる。ペリーが勝った。ディマはペリーを熱く抱きしめてこう言う。
「『教授、あんたはものすごいフェアプレイ精神のイギリス人だ。絵にかいたようなイギリス紳士だ。おれはあんたが好きだよ。』」(ジョン・ル・カレ、『われらが背きしもの』、上岡伸雄他訳、岩波書店、2012年、43〜44頁)
この一言がきっかけでペリーとディマはありえないような不思議な絡み合いの中に引き込まれてゆくのであるが、それはともかく、テニスを通じてイギリスの紳士たちは「勝つこと」だけでなく、「どう勝つか」を学習する。
「敗者を叩き潰す勝ち方」ではなく「敗者に敬意をもたれるような勝ち方」を学ぶことが指導者になるためには必要だからだ。
いまのイギリス人がどうかは知らないが、ジョン・ル・カレが遠い目をして回想する大英帝国の紳士たちはそういう勝ち方をパブリックスクール時代に学んだ。

外国の政治家を引き合いに出して、日本の政治家を
たしなめるというスタイルに共感を覚えるかどうかは
さておく。
私も、個人的にちょっと外国の政治家に興味がないわけでは
ないので。あくまでここでは、ピンチョンの小説にふれていく上で、有益そうなものをさわっていく。

それは理想主義的ということではない。労働者階級や植民地原住民たちを支配する訓練の一環として学んだのである。
自分が上位者であり、相手の立場が弱いときに、あえて手を差し伸べて、「敵に塩を送って」、ゲームのかたちを整えるというのは、実は非常に費用対効果の高い統治技術であり、ネットワーク形成技術だからである。
倫理的思弁が導いたのではなく、統治の現場で生まれたリアルでクールな知恵である。

倫理的思弁が、リアルさとクールさから離れているとは
必ずしもいえないと思うけど、ものの見方として
記憶しておいてもいいかも。

ただし、重要なことは、それは政治的オプションとして「選択」することができないということである。
脊髄反射的にできるものでなければ、「フェアプレイ」とは言われない。
熟慮の末に、「こうふるまえば自己利益が増すだろう」と思って選択された「敵に塩」的パフォーマンスはただの「マヌーヴァー」である。
考えている暇がないときにも「フェア」にふるまえるか、「利己的」になるか、その脊髄反射にその人が受けてきた「統治者たるべき訓練」の質が露呈する。
ふりかえってわが国の「ウッドビー統治者」たちのうちに「フェアプレイ」を身体化するような訓練を受けてきた政治家がいるだろうか。
繰り返し言うが、それは「上品な政治家」とか「清廉な政治家」とかいう意味ではぜんぜんない。
統治者としてリアルな力量があるかどうかを「フェアプレイ」を物差しで見ようとしているだけである。

合気道の先生が、イギリスの政治の世界にまで想像の翼を
広げて、合気道も政治も同じだみたいな話に
なっていますが。
まあ、そういう見方もありということで。ひとつの
発想ですが。

イギリスの統治。
大英帝国というのは、かくも「コンテンツ」として
成立しているということ。
そこには、当然、いろいろな人たちの色々な蓄積が
ある。
こういったものが、創作の「部品」としてしっかり
はめ込まれているのが、ピンチョンの一つのスタイルの
ようです。

Against the Day

Against the Day


Kindleで読了しました。

最近、この本の筆者の作品がKindleで読めるように
なったらしい。ペンギンという出版社がひと揃いの版権を
もっているみたい。
おかげで、1084ページというかなり長大な小説だった
けど、場所をとることもなく、もっぱらiphone ipadでの
読書が可能になりました。
丸善や、紀伊国屋の洋書売り場にいって「physical book」
のほうも確認してみたけど、1000ページを越える書籍なのに
厚さはわりとおさえめ。ほかのSFアクションものの長大な
ものが800ページとか900ページとかでもかさばる感じ
なのに、すっきりしている。
出版を実際にする側の「技」が光っているのかもしれません。
さて、肝心の小説の内容なのですが、
「読了してよかった!」という感慨以外はどうも
なかなか出てこないのが正直なところ。
なんとか、最初から最後まで原典で読んだ立場として
どうやって、この「難解な書物」に向き合ったらいいか、
それなりに書いてみようか。
"Against the day" Review
はてなのダイアリーや、朝日新聞の書評、アマゾンでの書評などで発信するために、精力的に本を読んでいる人の
Against the dayのまとめ。
どうもこちらの要約記事は、木原先生の翻訳が出版される前に出たようです。ネットで散見するATDの書評で原書でアタックしたということが書かれているのはこの人だけ。
やっぱりエネルギーいるんだよ。
Against the Day 〜p.56 - 山形浩生 の「経済のトリセツ」
そして、上記のリンクで紹介したMrYamagataが、
なんと十数回にわたって、原書を読んでは、本の中身の
「あらすじ」を書いていくということを積み重ねたもの。
これを読み継いでいくことで、なんとかATDの物語の
「あらまし」がつかめるようなつかめないような。
そういったものです。私も、MrYamagataのこのダイアリーを読んで、自分の英文読解がどれくらい適切だったのかを
「採点」していきました。正直、かなりぼろぼろだったのかなという気がします。
そのことにあまり落ち込まずに最後まで読めたのは、どうも
MrYのような英語読みの達人ですら、話のめちゃめちゃぶりに困惑しているのが、ハテナの記述で読み取れたから。
「そうだよね。僕だけじゃないんだよね。このワケワカメの
気持ちの悪さは・・。」
逆に開き直ることができたのではないかと思う。
登場人物がとても多いので、Reefとか、Vibeとか出てきて
「あれ、この人どんな人だっけ。さっきどんな場面で登場したのかな?」
とかでまず躓いてしまうことが多い。
「あれ、TWITって何? シャンバラって何だっけ?」
みたいな。
物語の舞台も、僕がぱっと思いつくだけでも、
パリ ロンドン ウィーン、ニューヨーク。ハリウッド。
ゲッチンゲン ベニス ボスニア ベオグラード
南米 メキシコ 南アフリカ共和国も少し。
シベリア鉄道も登場してなかったっけ?
ということで、地名がたくさん出てくる。
というわけで、色々な地域、国が作中の場面で出てくるので
登場人物が使う言語も「英語」には限らない。
フランス語
ドイツ語
イタリア語
スペイン語
癖のある英語
ロシア語
私が、読んで、確認しただけでもこれだけの外国語が
特に、注釈が原典にあるわけでもないのに、ぽんぽんと出てくる。これは、いままで読んだことのあるペーパーバックの
中でも異様。そんなに複雑なことが英語以外で記述されることはないけど。しかし、読み進める者としては気になることはたしか。こういうときに、あとで紹介するWikiにいくと
英語以外の言語で書かれた(当然のことながら台詞に多い。)部分の英訳が書かれていて、戸惑わないように
なっているという抜け穴を使うことも可能。
そして、小説の時代設定が、19世紀末から20世紀のはじまり、第一次世界大戦の前後ということもあり、
どうも読者には、かなりのマニアックな「近代世界史」の素養が要求されている。
近代ヨーロッパの歴史。
「世界史」履修されました?って感じ。
東ヨーロッパの民族紛争の歴史。
南米の革命の歴史。(主にメキシコ)
第一次世界大戦の前後のヨーロッパの様子。
高校生の時、覚えることてんこ盛り、戦争と条約てんこ盛り。そもそも時系列にそって、事件の流れを追うので
てんてこ舞いに追い詰められていたところがごっそりと
作中に登場します。登場人物たちは基本的にはすべてフィクションなのですが、舞台は歴史的な事実にそって構成されていくみたいな。そういう手法がとられている。
ですので、そのフィクションを味わう前提として、「歴史」の前提知識、英語以外の前提知識が色々と求められている。
あったほうが、素通りしないで済むという側面はあるかもしれない。
さらにトドメの一撃として、「高等数学」の素養まで
必要。
作中に、数学を大学で研究する人物が少なくとも
二人は出てくる。(KitとYashmeen)
wikipedia:リーマン予想
wikipedia:選択公理
たしか、ヒルベルトとか、ホーネッカーとか
高校の数学の教科書の章の頭のようなところでも
みかけたような。みかけなかったような。
物語の「目的論」として、
「巧みなたとえ話を交えて、筆者の主張したメッセージを
読者に訴える」
ということがすこしはあるとおもうけど、ATDの筆者は
この「たとえ話」をするのに「高等数学」を動員するという
アクロバチックなことをしているというわけ。
そりゃ、数式モデルは、ある程度の「普遍性」があるでしょうから、うまいこといったら、「アタリ」の「たとえ」を引いたといえるでしょうけど。
はたして、それは成功しているのでしょうか。読者によって結論が違うのだろうと思います。この作品を本格的に
分析しようと思ったら、理学部数学に突入する必要があるのかもしれません。
btp
上記のリンクには作中に登場する数学的パラドックスの
証明が掲載されています。
集合論」といわれている分野のようです。

素手で立ち向かって行くには、あまりにも多くのことを
この作品は読者に要求している。
知識不足や、あらすじの行きつ戻りつがあまりにも煩雑だと
途中でこの作品を放り出す可能性はどんどん高まるわけだからその「苦労」を少しでも削減できるものがあると
便利ということで。
すでに、この筆者の作品に立ち向かっていった「先輩読者」の「ノウハウ」がWikiに集積されています。
Thomas Pynchon Wiki | Against the Day
第4部Against the dayというところからは
このWikiに掲載されている膨大な注釈情報を参照しながら
最後まで読み進めることができました。
残念ながら、最初のほうから、Bilocationという部は
MrYamagataのあらすじだけを頼りにすすめました。
残念ながら、しばらくは、このWikiを頼って、最初から
再読する気にはなれない。
The Chumps of Choice
こちらのリンクもMrYamagataのダイアリーから教わったもの。残念ながら彼のダイアリーのエントリーが見つけられなかったので、オリジナルにリンクをはります。
たしかに、MrYamagataの「あらすじ」より詳しい。
そりゃそうでしょ、英米人の作品を英米人がまとめたのだから。
このブログを運営している人もどうやらピンチョンのWikiを
参照にしながら読んでいるフシがありました。(2648文字)

Wikiは作中の個別の項目についての説明が書かれているので
当然のことながら、原作がもっているカオスな感じはしない。Wikiだけ読んでいると整然と整理されている情報の海を
たんたんと読んでいくあやしげな「安心感」をもつことが
できる。
それは、作中舞台の位置であったり。
作中の人物や歴史的事件のWikipediaを引っ張ってくる
解説であったりする。
おそらく、ATDを書いた筆者本人も、膨大な資料にあたりながらこの作品を書いたであろうから、Wikiをたどっていくことで、この作品の読者は、筆者がどういう目線をもちながらこの作品を組み立てていったのかを「追体験」できる。
と思う。
正直、そこをたどるのが限界なのではないかと思った。
(3508文字)
というわけで、本来、文学作品について何か書くという場合、物語の筋、つまりたとえとしての素材の概略を
書いて、そこから、どうやって「メッセージ」を引き出すのかという話になるのでしょうが。
ダンブラウンの世界でいったら、Langdon教授がモナリザの絵を「読み取り」「ああでもないこうでもない」という解説をするという手法が、「書評」ではあるような気がします。
「はだしのげん」「ほたるの光」なんかは、すべては
「戦争反対」のメッセージの「たとえ話」でしょう。
100パーセントそうだとはいえないかもしれないけど、
そういう部分はあるでしょう。
ところが、このピンチョンという人の作品では
このメッセージを引き出すべく、「たとえ話」の筋が
おっそろしく入り組んでいる。
当然のことながら、「入り組んだたとえ話」から
は「錯綜するメッセージ」「読者によって引き出されるものが異なるメッセージ」ということになります。
ですから、この作品でブログエントリーを書くのは
かなりしんどい。
だったら、どうしてこの作品を取り上げたのかといえば、
この筆者の作品の翻訳に、東京大学京都大学の研究者が多く絡んでいるから。
その作品を読んでいる人間、研究している人間の「権威」というものに、読書する作品の選定をゆだねることが妥当なのかどうかという問題意識も交えて、
書いてみました。

作品の「解読」についてはまだ何も書いていない。
というより、「書けない」本当に。
こんな作品は初めて。
そういう意味では読者に「インパクト」を与えているのだから、それだけでも、この作品の価値はあるのかもしれない。
しかし、果たして、そういう手法で読者にインパクトを与えることそれ自体が評価の対象になっていいのかどうかという問題はあると思う。
ピンチョンのWikiがあそこまで詳細になるということは
やはりピンチョンが作品を作っていく時の、
「素材の選定」に何らかのセンスがあるということは
否定できないのではないかと思った。
オスマントルコや、Hapsburg帝国を登場させることで
いまでも、世界の時事問題を飾る民族紛争の深淵に
ある歴史的経緯について、読者が思いをはせるように誘う。
おそらく、アメリカ人だって、そんなに詳しいとは思えない、メキシコの近代史だったり。
アメリカや南米の労働運動だったり。
一つ一つに、深い研究の蓄積があるトピックを選んできて、
「無理矢理」一つのストーリーに入れていくというのは
「創作」をする人として、やはり何かもっている人なんだなと思う。
そうすることで、筆者のつくるフィクションに奥深さを
与えようとしたのでしょう。
そうすると、話の筋がカオスで、混乱に陥っても、
素材の点と点をたどることで「勉強」するメリットくらいは
残る。
そういう風に信じたい。
"It's always night, or we wouldn't need light."
こういう冒頭で始まって、
最後の最後のほうで、映画の都であるHollywoodを登場させるというのは、技だなって思う。
暗い映画館で、ぱっとスクリーンが照らし出されるというイメージが、スムーズに結びつく。
読むのに、かなりのエネルギーを費やしたATDですが、
どうもこれ以上、なにか書けといわれても。
とほほほほ。
折角原典に当たって読んだのに。
別に特に意味はないけど。
本書を読むきっかけになったエントリーは以下のものでした。
「逆光」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

シャーロックレイジー(執筆者・北原尚彦) - 翻訳ミステリー大賞シンジケート
上記のリンクは、ピンチョンに直接関係するわけでは
ありません。
しかし、Amazonのようなオンラインショッピングサービスがここまで普及する前の、「洋書へのアクセス」の実情が
詳しく書かれていたので、気になって引用します。

今回は洋書の探し方、入手方法の話をしましょう。
 わたしの若い頃は、ネットなんて便利なものはありませんでした。まずはアメリカや英国のミステリー専門書店、SF専門書店の住所を調べ、そこへ「カタログを送って下さい」という手紙を書き、「国際返信用切手」というものを同封するのです。カタログが届けば、財布と相談しつつ欲しい本をチェックし、注文を出します。エアメールとはいえ国際郵便ですから、速さでは同じ国の人に負けますので、一番欲しいレア本に限って売り切れている、というのはしばしばです。それでも「これとこれとこれはありますよ。送料との合計でいくらいくらです」という連絡が来たら、郵便局で「国際郵便為替」で送金します(当時はこれが一番安い送金方法だったのです)。そして待つこと数か月(下手をすると半年)、ようやく船便で荷物が届きます(航空便だと早いけど高いのです)……。
 タイトルや版元が分かっている新刊に関しては、丸善も利用しました。1980年代、丸善本店の洋書売り場にホームズを含めミステリーに詳しい店員さんがいて、その方に色々と御願いしたのです。少し前に出た本でもダメモトで注文してもらい、そのうちの一冊でも取り寄せられれば大喜びしたものです。
 (中略)
 面倒な作業ではありますが、広大な情報の海の中から、自分好みの本の情報が網に掛かった時は、実に嬉しいものです。

このエントリーは非常におすすめです。
引用が長くなりすぎるのも気が引けるのでこの辺に
しておきますが、おもしろい記述がたくさんあります。
アマゾンを使っても、ドイツ語、フランス語の書籍と
なると、今でも、ここに書かれているプロセスと
大差ない手間暇を踏まないと、なんでも手に入れるという
わけにはいかないのかなと。
そんな気がしました。
手前味噌というものになりますが、下記は私がKindleによる
洋書ライフを始めたときのエントリー。
大量に英文を読みこなしていくための英単語の増強といったことにも
ふれています。
2011-11-07 - book-loverの日記