聖なる王権ブルボン家 (講談社選書メチエ)

聖なる王権ブルボン家 (講談社選書メチエ)


18世紀のフランスの政治の歴史をざっと眺める本を読みました。
M&Dでは、MechanikalDuckという、不思議なDuckが出てきます。
たしか、フランス人による発明。パリに住んでいた人物が
色々ないきさつを経て、新世界アメリカに流れ着く。そんなエピソードも
挿入されています。本書は、M&D時代のフランスの歴史を概観するための
ものです。

本書の要約は「あとがき」

初代ブルボン王アンリ4世はフランス国民の統一、国土の復興、王権の強化に努め、絶対王政の基礎を築く。そのあと、ルイ13世は宰相リンシュリューに助けられながら、王権に対抗する勢力を次々と屈服させ、中央集権化を進めて、絶対王政の実現に大きく近づく。続くルイ14世の治世は、絶対王政の絶頂期で、ベルサイユ宮はまさしく、そのシンボルといってよい。ルイ14世はフランスの領土を拡張し、孫のために、スペインの王位を手中に収める。ところが、ルイ14世の没後、流れが変わり、王権が弱体化していく。国民が繁栄と平和を享受する中、国王は権威を失い、敬愛畏怖の対象であることをやめる。フランス革命を待つまでもなく、絶対王政はすでに瀕死の状態にあった。

M&Dの時代は、ちょうど、ルイ15世ルイ16世
どちらも、この本でしっかり説明がされています。M&Dのほうでも
たしか、ポンパデゥール夫人はWikiで出てきたはずです。
けれども、この本の政治史の記述で一番、面白いのはおそらくアンリ4世なのかも
しれません。面白いというのも、不謹慎ですが。
なにせ、最後はカトリック系の暗殺者に命を奪われますから。
なんといっても、このアンリ4世がブルボン王朝というものを、
その前のバロワ王朝になりかわって、創設するというところ。
そして、アンリ4世が、終生悩まされることになる、
カトリックとプロテスタントの対立というのも、彼の時代に一番、
すさまじい争いを生みます。王位継承に絡んで、3つの王家(日本史でいったら、近衛とか、藤原とかが、骨肉を争うみたいな。)
が、カトリック系とプロテスタント系にわかれて、いがみあう。
たしか、アンリ4世は、まずプロテスタント。なりゆきでカトリックにもどり。
ほとぼりがさめてから、またプロテスタントにもどったと思ったら、
それでは、王様になって、フランスの政治権力者と仲良くできないということで
「心の問題」を「便宜的に」とらえて、またカトリックへ。
「ナントの勅令」という形で、プロテスタントを、フランスの多数派のカトリックがいじめないように取りはからう。
アンリ4世が、命をかけて気づいたブルボン王朝のその後は、もちろん
内乱やら、最後は革命などが勃発しますが、基本的には、「王家」の中の
確執が、政治を動かす。そうすると、どうしても、「内輪もめ」がクローズアップされて、延々と、足の引っ張り合いを眺めるみたいな部分も出てくる。
外国との戦争も出てきますが、これは、あくまで外国ですから、フランスの
考察とはまた次元が違う問題だと思います。
64ページ

8歳半にして国王ルイ13世となった少年はどのように育てられ、どのような性格の持ち主となるのか。いかに国王といえども、後の世になって、遠い幼い日々の様子を克明に復元するのは難しい。しかしルイ13世の場合、この点では例外中の例外といってよいだろう。出生時から20代の中頃までのルイ13世について、発育、成長、健康状態を克明に知ることができる日誌が、彼の主治医により毎日綴られていたのである。父王が暗殺された日やその翌日の、ルイ少年の食事の内容をはじめ、その行動をここに詳細に語ることができたのも、この主治医のおかげである。
(中略)
モングラ婦人と称する養育係の女性がしつけを行い、文字の読み方を教え、道徳、宗教教育を施している。
(中略)
養育係も女性から男性にかわる。男性の家庭教師についてラテンの古典、数学、それに帝王学というほどのこともないが、国王としての心得を学ぶ。

子供の養育・教育の様子が、記録として残っているのは教育関係者からすると
興味深いです。そして、ここでも、しっかり教育の主役は「教会関係者の独壇場」といってもよい状況。

126ページ

エリートたちは徴税請負人の事業に投資するか、官職、土地の購入に金を使うことを好んだのである。商工業者自身も、ひとたび蓄財に成功すると、同一の行動をとった。こうした資産運用の習慣を変えるのは実に難しいといえよう。

政治の外で活躍していたビジネスマンも、一度ある程度の元手ができると
「官」のビジネスで既得権益を得ようとする。
純粋民間の競争の中で、利ざやをはねるということが、今も昔も厳しいことを
うかがわせます。
今の日本の商業にも同じような体質があるのだろうかと。
ここを読んでいて思いました。
税金という形で、巨大なファンドをもって、基本的に使うことしか考えない
組織ですから、こういうところを、一度、顧客にしたら、あとは
なんとかなるという、ある種の合理性がある手法だと思います。

166ページ

フルリー及び彼の協力者たちがルイ少年に授けた教育は質の高い者だった。しかも、フルリーを始め、そのメンバーには聖職者が多かったので、当然、その教育は宗教色が濃いものであった。
類焼年の毎日の日課は習字、ラテン語、歴史。これに週3回のデッサン、地理、数学が付け加わっている。ときには宮廷の外に出て、科学者たちの実験室を訪れ、そこで化学の実験に立ち会ったり、天文台を見学したりしている。総じて、文化系より理科系の学科を好む少年だったようである。いずれにしても、歴代ブルボン王の中で、ルイ15世が最も優れた教育を受けていることは間違いない。

ここに出てくるフルリーさん。そもそもはルイ15世の家庭教師として
世に出たのですが、それがきっかけで、ルイ15世が大人になってから
本格的に政界でも活躍するようになってきます。
当時の政治エリートにとって、必要な教養がどういうものだったかを
伺い知ることができて、興味深いです。
ラテン語ですが。日本で勉強しようとすると、結構手間がかかるのかな。
でもKindleとGutenBerProjectの力を駆使したら、テキスト無料で
読むことだって、もう実現しています。
理科系の科目に関しても、手厚く、カリキュラムが組まれているあたりは
さすがだなと思います。
ある程度の、資本力がないと、実験などを組み込むのは難しいと
思っていましたが。
そういえば、片山さつきが、池田信夫との対談で、
今でも欧州のエリート教育の主軸には「歴史」がしっかりとカリキュラムに
組み込まれていると。そんなことをいっていたような。
YouTubeでEatonとかいう学校の様子を撮影した動画があったけれど、
たしか「キーツ」とかいう詩人の「デスマスク」を先生と学生が
眺めて、そのまま文学の授業に入るなんていうのもあったな。
フランスの教育といえば、「のだめカンタービレ」という漫画は
主人公が、たしかフランスにピアノ留学にいくというやつだった。


183ページ

ルイ15世は子供たちのうち、下の4人の娘をベルサイユから遠く離れた修道院の寄宿舎へ入れている。この決定の背後には、フルリーの助言があったに違いない。華美で風紀の乱れがちな宮廷で育てるよりも、この方が道徳上、宗教上、教育環境としてこのましい、といわれたのだろう。娘たちは修道院での寄宿生活の成果により、これから信心深い女性に成長する。王妃も信仰のあ篤い女性だったが、こうして主に王家の女性により、ベルサイユの宮廷内に経験なカトリック信仰が維持される。

宗教教育もしっかりうけたルイ15世は、結局、女性関係には
奔放な人になっていったようです。
ところが、その反動もあったのか、自分の子供たちには、こういう形で
養育環境を作っていった。

189ページ

富と権力のエリートがいて、このような文化施設の充実した都市に学問芸術文化が栄えないはずがない。これが18世紀中葉から後半にかけてのパリの状況である。富と権力のエリートが「芸術のパトロン」になり、パリの文化的繁栄に拍車をかける。雅やかなロココ様式の絵画を発注し、一流職人に家具調度品を作らせる。書物等を買い集め、豪華な装丁を施す。劇場にいって芝居を見る。こうしてエリートたちは個人的趣味の追求に堪能するのである。そしてもちろんこれは盛んな知的交流を必要とした。

東京や大阪でも、こういう人たちはきっといるのでしょう。
それがどういう人たちなのか。個人的にとても興味のあるところです。
たしか、サントリーホールとかは、サントリーの社長がお金を出して
つくった施設だったはず。
アメリカだったら、カーネギーホールか。
200年前に華やかであった富裕層ビジネスのスケッチなのだと思います。

208ページ

しかし、ここでポンパドゥール夫人の持ち前の天性が発揮される。慎重に振る舞うものの、大作家を疎んじるようでは国王の威信と栄光に関わると、彼らに恩恵を施すのである。このことは「啓蒙思想家」たちによる国王への厳しい批判を封じ込めたことを意味する。
啓蒙思想家」たちのリーダー、ヴォルテールに修史官(君主の治世史を書く)のポストを得てやり、「アカデミー・フランセーズ」入りを助けたのは、もちろん
ポンパドゥール夫人に他ならない。

たしか、Best&Brightestだったかな。
「ポストさえ、ちらつかせれば、どうにでもあやつれる」
みたいなことをいっていた人間が出てきました。
この当時のフランスも事情はあまり変わらなかった。
本をたくさん読んでいて、理論を組み立て、本を書いて広めることはできる。
でもそういう活動をするためのお金や地位を工面するというのはそれとは
別の問題。そして、「表現者」ほど、案外そういうことが苦手だったりする。
一般に流通しているテキストの表層だけ見ていても、少なくとも
今現在は必ず見失うというのも、今と昔でそんなにかわらないのだと
思います。