Mason&Dixonでいくたびか登場する「カール・リンネ」について。
彼の18世紀における位置について。

筆者 西村三郎

青森県弘前市生まれ。京大理学部卒。水産庁日本海区水産研究所に11年間勤務。京大理学部付属瀬戸臨海実験所勤務ののち、1977年、京大教養部助教授、1980年、教授、1992年、総合人間学部教授、1994年、定年退官、名誉教授。

scientist:西村三郎
読了。
こんな人がいたんだなって感じです。
上記の私的エッセーから、この西村氏の横顔も見てみたい。

私が京都大学を卒業した年は、学生の就職に関して今どころではない、たいへんな年だった。旧制大学の最後の学生と私を含めた新制大学の第1期生とが同時に卒業したからだ。そんななかで仲間たちは皆大学院に進んだが、私はどうしてもすぐに海の研究がしたくて、いろいろ探したあげく、当時教授としておられた市川衛先生の紹介で、新潟の水産研究所に日雇い所員として働き口を見つけた。給料はとてつもなく安かった。でも、とにかく海の仕事ができるようになったことで私はただただ幸せだった。

この人が大学を卒業したばかりといったら年代から推定しますに
1950年代ですから、まだ「戦後」ってのが継続していた感じかな。
でもそういう時代に、「研究」なんだか「業務」なんだか境界が
はっきりしない職業を見つけ出すのはお見事。
そういえば、「釣り馬鹿日誌」という映画で、水産研究所らしいところで
魚の養殖の研究をしているキャラクターがいたような気がする。
冗談ではなく、本当にモデルかと思った。

やがて、見よう見まねで論文を書くようになった。ほとんどが海の生き物に関するものだったが、若かった私はとにかくなんでもかんでも片っぱしからとりあげて書きまくった。多い年には1年に10篇以上も書いたことがある。今から思うと玉石混淆どころかダメな石ころばかり。でも、本人は大真面目で、まるで海に向かってラブレターを出すような気持ちで論文を書いていた。
 そうやっていろいろな海の生き物たちとつきあっているうちに、彼らの住む日本海というものが自分なりに見えてきたように思う。それをまとめて、『日本海の動物地理学的諸様相』(英文)という論文を仕上げ、理学博士の学位を授けられた。

つまり、研究所というところで、自分が実際に、ふれあった生物を題材に
して、「書いた」と。
私がこのBlogを書いていく動機のようなものとリンクするなと思ったので、
ここで引用します。
人が、自分の理想的なコミュニケーションとは何かということを突き詰めたとき。
それには色々な形があり得る。
「おはよう」といって、
「おはよう」と返事が返ってくる。
「楽しい」といって、
「楽しいね」という返事が返ってくる。
どこぞの公共広告機構のCMみたいな話ですが。
日常会話でのコミュニケーションがスムーズにいくことも大事ですが。
色々とあり得るコミュニケーションの形の中の一つに。
「自分が書いたものを通じて、コミュニケーションを取りたい」
というものもあり得る。
「おはよう」のかわりに、
「論文」と「論文」の交換、貸し借りによって成り立つ世界。
今にして思うと、私はそういうやりとりがしたかったし、
そういうやりとりに向いている人なんではないかなとか。
大学に限らず、「専門職」の世界というのは、ある程度、
こういう「論文」の数や質の積み重ねで評価されることをのぞむ
人たちがいるところ。
好みの問題だけど。私はそういう世界に重きを置いてしまう。

水産研究所には前後11年間いた。その後、京都大学の瀬戸臨海実験所を経て、同じ大学の教養部に移ることになった。ずっとそばにいた海を離れることになったのである。大学の講義などというものは、それまで一度も体系的にやったことがなかったので、自分なりにどのようなものにしようかといろいろ悩んだ。その結果、せっかく広い分野の学生たちに講義するのだから、狭い専門的な内容ではなく、より総合的なものをめざすことにした。とくに、自然と人間との両方に関連した内容にすること、それが私の考えた方針だった。
 (中略)
 最初に取り上げたのは、18世紀に現在の生物分類法の基礎を作り上げた、スウェーデンの博物学者リンネとその弟子たちのことだった。私は、新しい分野に入るにあたって、ダーウィンなどの有名な人たちではなく、その人なりにこつこつと努力した無名の人たちの業績を掘り起こしたいと心に決めていた。だからリンネの場合でも、本人よりも、今はあまり名前の知られていない彼の弟子たちに注目したのだった。

本書の内容を、手際よく紹介しようと思ったら、本人の力を借りるのが
一番といったところでしょうか。
安易ですが。
カール リンネ

当時、多くの分類法に使用された扱いにくい記述法をPhysalis angulataの簡潔で現在身近な種名に変えた。 より上位の分類群が作られ、簡単で規則的な方法で配列された。現在二名法として知られるシステムは、その200年前にボーアン兄弟により開発されたが、リンネは科学界へそれを普及させたと言われる。
リンネは個人的に常識的と感じた方法で分類群を命名した。例えば、人間はHomo sapiensだが、彼はまた2番目の人類、Homo troglodytes(現在、Pan troglodytesとして分類されているチンパンジー)を設定した。

ペール カルム
リンネの弟子。18世紀に新大陸アメリカへ渡り、動植物のサンプルを
収集する。
ペール フォッスコール
アフリカの北部 エジプト周辺のエリアなどをまわり。サンプルを集める。
結局、旅先で病死。
カール ペーテル ツゅんベリー
南アフリカや日本の植物の研究に貢献をした。(鎖国をしている江戸時代の
日本で活動していた。)

本書に登場する人たちはいずれも程度の差はあっても
外国にでかけて、その土地のめずらしい植物や動物のサンプルを持ち帰り、
さらに、物珍しい外国での経験などを「旅行記」「日記」という形に
まとめて、祖国に帰るという人生を通過している。
フォッスコールという人は、残念ながら、探検している土地で
流行病のおかげで、命を失うという悲惨なことになってしまった。
というわけで、21世紀の今には、彼らが残した
「植物や動物のスケッチ」であったり、
「旅行記の文献」であったり、
「学術論文」であったりする。
そういった「資料」が巨大な山のように残されている。
どうも、本書の筆者はこの巨大な山を、丁寧に読み解いたようです。
翻訳があまりない文献を、一般向けに見事に、まとめて、
紹介しています。
「旅行記」を書いている本人が、慣れぬ外国ならではのトラブルに
巻き込まれる場面なども、オリジナルの叙述の生々しさが
死なないように、書かれていると思います。
カルムという人は新大陸アメリカに渡った人でした。
そして、彼は、Mason&Dixonでも登場するベンジャミン・フランクリンとも
手紙のやりとりをしていたらしいことが、カルムの残した記録でわかるようです。
「ナイアガラの滝」などという、いまでもメジャーな観光スポットのところが、
当時は、まだどんな所か、入植者にはよくわかっていなかった。
そんな一人だったフランクリンは、滝までたどりついたカルムの残した
報告書で、滝の有様を知ったと。
インディアンにいつ襲撃をうけるかわかったものではないと、
びくついていたり。
アライグマの様子をおもしろおかしく書いていたり。
本書には、カルムが新大陸を探検していた時の動植物のスケッチも
掲載されている。
色々な動物や、観光名所的な自然の風景などが、描写されて出てくるので
なんとか、最後まで読めます。
Mason&Dixonは、実在した天文学者であり、実在した測量技師ですから、
おそらく、「外国人」として、アメリカに渡って、いろいろなものを
見聞したとき、このカルムと同じような感覚をもって、新大陸と
向き合っていたと読むこともできるでしょう。
本書は、Mason&Dixonの世界観に入り込めるかどうかを試すいい試金石に
なるのではないかと思います。
どうして、ピンチョンが、この18世紀という時代を小説の舞台に選んだのかが
なんとなくわかるような。
そんな気にさせてくれる構成になっています。
この小説に流れている色々なテーマの一端に触れることができるような
気がします。
ある種の「アナクロニズム」というか。
「昔はよかった」というか。「時代錯誤」ともいえます。
誰にも発見されていない「種」の「発見」という「具体的な一つ一つの実績」
を重んじることなく、
「とにもかくにも、どんな新種が発見されても、たちどころに、ふさわしい名称をつけて分類できる体系そのものをつくる」ということに躍起になる。
リンネが、この時代に学者としてやったことは、そういうことにつきると。

「新しい種」が「反例」の役割をはたして、あっというまに、
個人の「妄想」(スコラ的)が「作る体系」などというものは
ものの役に立たなくなる

植物を分類する枠組みを苦労して作っても、植物の多様性が予測を遙かに
こえるほどで、あっという間に、作られた分類では解決ができないものが
登場すると。
こういう考え方の人たちは、リンネが生きていた時代にも、有力に
存在して、今でも、まともな科学者であればあるほど、そうなのだと。

それは、100パーセント承知したうえで、
「リンネとその使徒たち」の筆者は、それでも「リンネは魅力的だ。」
という。
おもしろい具体例として、「社会契約論」を書いたルソーという思想家が
リンネのことを絶賛していたと。
ゲーテという文学者もそうだったと。
プロの科学者からは相手にされなくても、アマチュアにはなぜか
リンネのような人の考え方がうけるのだと。
これは、「ヒット」「社会現象」というものを起こそうと考えている
人にとっては、永遠に逃れることが出来ない課題なんだろうなと。

ピンチョンもそんなところに注目しながらストーリーを作っているのかなと。
そんな気がしました。
(4000字強)