文系と数学

社会学を志望しようかなと思っている大学受験生のために(2011年度版) - インタラクティヴ読書ノート別館の別館

しかしやっぱりそれ以上にここで強調しておきたいのは、統計の、つまりは数学の大切さです。大変残念なことに、私立文系コースを選んで早々に数学の勉強を切り上げた受験生諸君だけではなく、理系で高校数学を一通り学んだ諸君にとってさえ、大学で出会う統計学はほとんど未知の領域に見えてしまうようです。高校数学にももちろん、確率・統計という単元があるのですが、どうもそのありがたみがきちんと伝わらないまま、皆さんは大学に来てしまうようで。普通の社会人にとって最も必要で有意義な数学的知識こそ、確率・統計の基礎知識だとぼくなどは思うのですが。
 ですから皆さん、「数学を得意になれ」とは申しません。苦手でも結構。ただ、アレルギーは起こさないでください。今どき、面倒くさい計算はコンピューターがやってくれます。それを正しく解釈するための数学、で十分なんです。

英語に詳しいのは当然かもしれない。住友商事、ハーバード ビジネス スクール、ボストン コンサルティング グループなどを経て、なんと前職は、英会話スクールGABAの副社長を務めていたのだ。モノクロ写真でもわかる灼けた顔は、彼がライフワークにしているサッカー審判で、週末フィールドに立っているから。日本サッカー協会公認の2級審判員である。少年時代は柔道で海外にも行き、大学時代はスキー部に所属していたスポーツマンだった。そんな彼が英語の厳しい洗礼を浴びたのは、大学時代にアメリカに留学したときのことだ。

「聞く力を伸ばすために、英語をたくさん聞いて、耳を慣らすべきだとよく言われます。しかし、これはウソです。どんなに耳を慣らしたところで、単語を知らなければ意味がないんです。僕が勉強したことのないロシア語を何百時間聞いたところで理解はできないのと同じです。言語コミュニケーションの基本は語彙力にあるんです。語彙力を強化することこそ、英語には必要。語彙力があれば、あとは単語を並べていけばいい。高度な文法なんて、使うことはほどんどないんですから」

立岩真也『私的所有論』の一解釈 - インタラクティヴ読書ノート別館の別館
どうやら、とある研究者の方が、法学の分野の対象である「財産権」というものの
内容をどのように解釈したらいいのかということについて、まとまった本を
書いていたようです。
この本をブログで紹介している稲葉先生は、たとえば成田空港を建てようと
したときに、滑走路の建設予定地にある土地をどうしても売り払いたくないという
人がいる場合、その人の不動産の所有権は、空港の建設プロジェクトをひっくり返して
でも、裁判所は保障する必要があるのかどうかという形で紹介しています。
実は、意図的に歪曲した紹介です。稲葉先生は、民間の業者がマンションを建設
しようとした場合を事例に取り上げて、同じような問題設定をしています。
「自覚的」であるとは、ある事柄を「意識と思考の対象」にすること。
稲葉先生は、この「私的所有論」というテキストに従うと、どうしても立ち退かない
不動産の所有権は尊重されるべきだという立場をとっています。
さて、この結論はたとえば「成田空港」のような場合でも同じように
適用されるべきなのでしょうか。
私がこの議論が興味があると思ったのは、民法で規定されている所有権を中心と
する 財産権を、裁判所が強力な権利として読み込んで、財産権者を、対抗する当事者に
対して、保護するのかどうか?(財産権、所有権の正当な主張ができる人間が常に勝訴すべきなのかどうか)という論点を、掘り下げていくと、それが
社会全体の「公益」と、個人の「利益」が衝突するとき、どちらを優先させるのか、
または、どのようなルールに則って、裁判所や省庁が社会の「公益」と個人の「利益」の
バランスをはかるのかという問題点に対して、一定の見解を作っていくという点です。
ある具体的な論点をひとつだけ、深く深く掘り下げていくと、
それが、世の中に存在する広範な社会問題に対して、どういう結論を下すべきなのかの
示唆が得られるということ。
つまり、汎用性の広い、論考を作り上げることが可能であること。
そして、この「私的所有論」というテキストが、筆者が2年間ほど、巣ごもりして
つくられたものであること。
参考文献の動員はもちろんするけど、できるだけ、論点に対する思考は筆者が
独自に、ああでもないこうでもないと「裸の頭」でやったという、制作過程にあります。
これは、ユニークだと思いました。
そういう本の書き方にも毀誉褒貶があると思います。
最大の欠陥は、「車輪の再発明」を、「新発見」と勘違いすること。
もちろん、これをさけるために、文献目録が用意されているそうですが、
「裸の頭脳」にはかくも、世の中は厳しいことと思われます。
でも、参考文献リストに圧倒されて、オリジナリティゼロの「編集切り貼り」も
もちろん問題なのはいうまでもないこと。
このギリギリのバランスをどうやってとって、この本が作り上げられてきたのかという
ことに興味がわきました。
そして、もうひとつ、思ったのは、財産権の主張を巡って争いが起きた場合、
どのようなルールに則り、判決を下すのかという問題は「分配の問題」なのだという
こと。
「分配」するからには、「分配」する「もの」がないと、話にならない。
「もの」の話になると、それはおそらく「サイエンス」と「テクノロジー」の
問題になるのだろうと。
どうやって、「分配」したらいいのかという問題につよい人間と、
どうやって「ものを生み出すのか」ということについてくわしい人間の
どちらが、社会全体にとって有益といえるのかという問題点が、
本書の書評を読んでいて、すこし、クリアになったような気がする。
追記 その1 12月24日
同様の観点を「パイをつくる人、パイを分ける人」というエントリーで
整理したもの。
パイを増やす人とパイを分ける人 - My Life After MIT Sloan

例えば、孤島に飛行機が不時着し、100人の人が島に閉じ込められてしまったとしよう。しかし、飛行機に積まれていた非常食は100人分に満たない。ここで「パイを増やす人」は、まずどのように食料全体の量を増やそうか、という方向に考えを進める。島中を探して食べられるものが無いか、新たに食べ物を作り出すことは出来ないか、海に出て魚を取ってくることは出来ないかなど、新しいアイディアや外に出て行くことで量を増やし、足りない問題を解決しようと考える。一方、「パイを分ける人」はとりあえず今ある限られた非常食を、どう100人に分配するかということが気になってしまい、そちらを先に進めてしまう。誰に多く、誰に少なく渡すのか。それとも全員平等に分けるのか。
世の中にはどちらのタイプの人も絶対に必要である。「パイを増やす」ためには、イノベーションを起こしたり、他の場所に打って出るなど、それなりの気力や能力を必要とするが、これは全ての人に出来るわけではない。出来ない人たちにも、それなりに平等に資源が行き渡るようにするのが「パイを分ける人」たちの役目である。しかし、一般的には「パイを増やす人」が多い方が、社会や組織は前向きに、将来に向かって進むようになるし、「パイを分ける人」が多いと、人々は政治的になり、誰かを排除したりとする方向に行きがちである。

カタチづくり

今日は Kindle寺田寅彦のエッセイをひとつ読んだ。「漫画と科学」というエッセイである。以前「科学者とあたま」というエッセイに感銘を受けて以来、苗字が自分と同じよしみもあって他のエッセイも読んでみたいと思っていた。青空文庫で大量に公開されていることに気づき早速 Kindle に入れたという経緯だ。

科学と漫画には似ているところがある、という意外で面白い論旨であった。漫画は、例えば人物の顔の特徴を分解し、その一部を誇張して描くことで、写実からは遠ざかっているにも関わらずむしろ特徴を捉え真実を映し出す効果を持つ。同様に科学も、例えば放物運動では空気抵抗など興味の対象ではないものの効果を除去してシンプルな方程式として取り出すことにより、現実からは遠ざかっているにも関わらず返って真実に近づくことに成功している、というわけだ。

追記 2012年 1月6日
文系の研究者になりたい人達に知っておいてほしいこと - bluelines