楽しみにしていた漫画の続刊。
最近、おもしろいと思うことがすくないような気がする。
今漫画は、電車で読んでいても、思わず、クスクス笑って
しまう。
ちょっと、周りの目を気にしてしまう。
ユーモアとか、わかりやすさというものを追求してしてきた
人たちの中に「宗教関係者」というものがいるのでは
ないかと思います。
この系の人たちがそのまま「教育関係者」であることが
多いわけですが。
キリストの母であるマリア様が、イエスに
「実家に帰ってこい」という。
仏陀の母も「宮殿を建築したから帰ってこい」という。
二人は、なけなしの生活費を削って、飛行機で
「実家」に帰ろうとする。
世界の二大宗教の教祖の親子関係という「教条的」
な話を、「東京の若者が、実家に帰省するために
飛行場にいく」という直感的にわかりやすいシーンに
絡めることで、読者に届くようにする。
いや、中村光というクリエイターの人は、楽しませる
ことが目的で、そんなことはどうでもいい。
でも、結果的に、「ややこしいことのブレークダウン」という
手法をギャグマンガに転用するということを実行している。
「思考と分析」、その微妙かつ決定的な違い - Chikirinの日記

もう一度、最初の二つの文章を見て下さい。

「市場規模は、前年比8割増となった。」

「市場規模は、前年比8割増と、急激な伸びとなった」

本当にわずかな差です。

わずかではありますが、決定的な差です。前者には「情報」しか含まれておらず、後者には「人間の考え」「発言者の判断」が含まれています。

この微妙ではあるけれど決定的な意味の違いを理解し、常に二番目の言葉が口から出るまで考えていないと、単なる“分析屋”になってしまうのです。

また、誰かと話をしている時に相手の言葉を注意深く聞いていれば、最初の言葉でしか話さない人と、二番目の文章で話す人がいることに気づきます。それを聞いていると、その人が本当に考えているのかどうか、浮かび上がってくるのです。

自分のブログのスタイルがとことん「分析」なんだなと
思ったエントリー。
まあ、こういうこともブログをしばらく更新することで
わかること。
刺さるブログになりました。
ちゃんと書いているものを出版するところまでもっていく
人は違います。
では、自分で考えるということがどういうことなのかを
これから、追求していくとしましょう。
もちろん、前段階の「分析」も大事なわけですが。