「波の数だけ抱きしめて」

波の数だけ抱きしめて [DVD]

波の数だけ抱きしめて [DVD]


wikipedia:波の数だけ抱きしめて
TSUTAYAに立ち寄る。最近、正直仕事が忙しくないもので、
すこし落ち込む。もっと営業をかけないといけないよなと思いつつも、腰が重く。気がついたら、ビデオレンタルのお店にフラフラと移動するということがなんとなくサイクルになっております。暇つぶしにやることといったら、この株式会社はてなで運営されているブログのチェックなんかもやることのひとつで、
カチカチとクリックしながら、何が生産的であるというわけでもなく、時間だけが過ぎていく。
こういう時期は正直つらい。バリバリのビジネスマン系の人と
思われる人のブログを読んでいたら、「彼女が水着に着替えたら」というタイトルの映画について少し触れられていた。
彼女が水着にきがえたら [DVD]

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wikipedia:彼女が水着にきがえたら
なんでも、この映画に魅せられて、スキューバダイビングを趣味として始めたとか。ふと学生時代のことを思い出した。そういえばテレビ局に勤務している人のお世話になり、ダイビングを海外で経験するというまたとない機会を得たんだっけか。
ご夫婦でマリンスポーツが好き。とうとうそれで湘南のほうに
家を建ててしまった。今頃、もっとマリン系になっているのかな。
今でも、僕の数少ない趣味は水泳だから。とにかく水の中にもぐっているのは好き。その間は、余計なことを考えていないなって思う。小一時間ほど、泳いでからの疲労感も悪くはない。
貴い労働による疲れからはほど遠く贅沢なものですが。
すこし、「水着〜」から引用をさせてもらいましょう。

私をスキーに連れてって』、『波の数だけ抱きしめて』とともに、1980年代後半から1990年代前半にかけてのバブル景気時代に公開された、ホイチョイプロダクションズ原作の『ホイチョイ3部作』の第2作。
ウィンタースポーツをテーマにした前作とは代わってマリンスポーツをテーマにし、湘南エリアと東京湾内を中心にロケが行われた。バブル景気絶頂期の作品らしく、広告代理店の電通が中心になって行った、プロダクトプレイスメントを目的とした企業タイアップが非常に多いのが特徴である。

正直、この下りを読んでいる時に、これだけ「商業主義」がプンプンするような「生まれ」の映画だったらそりゃあんまりおもしろくないのかなと、思いました。
しかし、どうも様子が違う。
映画は嫌いなほうではない。通年で考えると2,3本は映画館まで足を運んでみているのではないかなと思います。
あまりビデオ屋に足を運ぶことはないけど。そこそこみた本数はたまってきたのかな。その蓄積の中でも群を抜いた面白さでした。「東京らしさ」をみることができたからかな。
もう同年代の人が次から次へと結婚して数年が経過しております。MIXIやらFacebookやらで、近況を知ることも簡単になりました。みんなもう「家族」をつくって、それぞれのステップを進んでいるように思います。震災が起きたので、大丈夫かなとも思いますが。
何が言いたかったかというと、この映画のモチーフになるような「恋愛」というものは、もう自分の周囲からはほど遠いものになっているのかなと。
この映画を見た後、たまたま仕事で立ち寄った喫茶店で
とあるエッセイストの本を手に取る機会があった。
wikipedia:群ようこ
「映画」のほうでは奥手の男性が、最後に海中で、ヒロインに
キスをするという、スキューバ経験者からすると危なっかしい
名場面を作って終わっていましたが、こちらの群さんのエッセイでは「その後」のようなものが書かれておりました。
今は珍しくもなんともなくなっているような気がしますが、
いわゆる「できちゃった婚」だったらしく。
いまでいう「ファイナンシャルプラン」のようなものが無しで
旦那さんと一緒になったと。旦那さんは家電製品の営業マン。
お世辞にも給料は高くないと。というかダイレクトに安いと書いていた。子供の養育費もかかるということで、とにかく生活に追われる。群さんはこの当時、まだ若かった。周囲の同年代はまだ「花盛り」だったらしい。それを脇目でみて、「世帯」の運営を切り盛りするのがすこし口惜しかったとか。
あげくには、その同年代の友人諸君が、今度はどんどん結婚する。その時、お祝いに「いくら包むのか?」ということでまた旦那さんと、「せこい」言い争いをする。
記憶だけで記述しているので、正確さについては勘弁を。
現実感覚を養うというのはそういうものだよなと。
そろそろ、外は春らしくなってきていて。
喫茶店の外はもうあつかったです。
クスクスと笑いながら、アイスコーヒーをすすっておりました。
この「三部作」との「出会い」はそんなものでした。
そんなわけで、惰性でまたTSUTAYAをふらふらとする。
レンタルビデオの広告キャンペーンの一環で、いわゆる「著名人」「芸能人」「タレント」の
人のお薦めという帯をつけて聞いたことのある映画のDVDが一つのコーナーをつくっていて、
「波の数〜」のほうはそちらにおいてありました。
もともとは、「水着〜」や「スキー」と同じ戸棚で、日本映画のほうにおいてあったのだけど。
たまたま一時的なお引っ越し。
「チュートリアル」というバラエティー系の人のお薦めになっておりました。
なんだか妙な感じですが、結ばれる男性・女性のカップルのうち、男性は同じ俳優。
女優のほうだけが違う。
wikipedia:中山美穂

サヨナライツカ (幻冬舎文庫)

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サヨナライツカ [DVD]

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こちらの映画の封切りの日は2010年1月23日になっています。
「波の数〜」の封切りの日は1991年8月31日。その期間たるや「およそ」20年。
「波の数〜」を観て、びっくりしたことにはいろいろなことがあるのだと思いますが、
こうやって、原稿を書き上げていて気がつきましたが、20年の時を飛び越えてこの
「往年?」の「名女優」の映画をたまたま観ていたからかもしれません。
こちらは、私が注目している女性企業経営者の人のBlogで紹介されていたからですが。
なんで、こんなまどろっこしいことを、つらつらと書いているかといいますと。
いえ、私の中では勝手に二つの作品をつなげてしまっているのです。
中山美穂」は映画に出てくる「男性諸君」を全員引っかき回すのですが、
最後の最後には、誰ともHappyEndにはならない。
「水着〜」のほうの、ヒロインは、この間別のドラマを鑑賞していたら、「病弱の良家の母」
として、登場して、そうそうに「鬼籍」に入っていました。
そうそう、「娘さん」から「母」にしっかりと、年齢設定をあげているわけですが。
2010年と、1991年で、登場の仕方も、物語の中での役割までそっくりだったので、驚いて
いるわけです。不覚にもそれがあまり不自然ではない。
映画のあらすじをかいつまんで、記述するということもなく、いきなり別の作品まで出してきて、
何を大味なことをということになってしまいそうです。
いや、書いている私本人もそうのように考えながら、「水着〜」のBGMをYouTube
聞きながら、あれこれと、思案しながら、キーを叩いているのです。
あまり本意ではないのですが、あらすじを。
あらすじ 波の数だけ抱きしめて - goo 映画
Wikipediaからの引用のほうがよかったのかな。(と思ったら、「あらすじ」がない。)
やばい、この記事の「あらすじ」みもふたもないくらいに、「正確」なのではないかなと。
筋だけ追っていたら、なんだ他愛もないと。それで終わってしまうのですが。
では映画のレビューなるものを書く人間は、「みもふたもない」筋書きにさらに何を加えたらいいのかなと。こちらは、映画を「鑑賞」しているので、眼でみているし。耳で声を聞いているし。
「台詞」も楽しんでいるわけです。
こういったものを「書く」「目的」のようなものを決めたほうがいいのかなと。
このエントリーを読んでくれた人が、「じゃあ、このDVDにクリック!」これかな。
そんなこといったら、なにか大事な何かが、欠落してしまうような気がする。
自分の中の何かが、消えてしまうような気がしないでもない。今のところ、Amazonのアフィリエイトのアカウントが使えないことになっているので、「営利」ではありません。
そういえば、中学入試の読解問題に採用された文章に、広告代理店の人と思われるものが寄せられていたのを思い出します。
鉛筆のキャッチコピーを一つ、生み出すのに、何回も何回もアイディアを出しては、没にして、
出しては没にするということをずっと繰り返す。
あの文章の終わりには、最後にどんなキャッチコピーになったかが書いてあったかどうかが
今、ちょっと思い出せない。
この文章の書き手は、一つのキャッチコピーを、何度も何度もお師匠さんにダメ出しを
される。
そういえば、自分の仕事にダメ出しをしてくれる人って、もういないよなと。
ふと思いました。
そうそう、そんなことを書いていて、いま気がつきました。
そう、この映画の重要な登場人物に広告代理店の人がいるのですね。

大学4年生の小杉、芹沢、裕子、真理子の4人は、真理子のバイト先のサーフショップを拠点にノンストップ・ミュージックのミニFM局Kiwiを運営していた。

映画の軸はこの「学生ベンチャー」(しかもちょっとIT ハード系)を「世間」というものを知っている「吉岡」という広告マンが、色々な思惑をもって引っ張っていくという展開と、5人の入り乱れた「恋模様」が、うまい具合に、絡み合いながら、とんでもないスピード感でもって進んでいきます。
放送エリアを拡大するためには、Kiwiの電波を受信して、さらに遠くに飛ばす「中継機械」の
ようなものを、各地に設置する必要がある。
学生が、この設置の「交渉」で、魚屋とやりあっているときに、吉岡が「助っ人」に入る。
「魚屋の提供でございます。」という広告文句を、放送中にいれたら、OnAirを車中で聞いている
リスナのうちの何パーセントかは「魚の干物でも買っていこうか?」となりますよと
持ちかけて、機械の設置と、広告費の「巻き上げ」に成功する。
そんなことでは、放送エリアの拡大にかかる費用は賄えないということで、ついには
「吉岡」の勤め先のクライアントのお金を当て込む形で、勤め先の資金にまで手を出して、
Kiwiの拡大にのめり込んでしまう。
遠いシリコンバレーのニュースをついついネットで追っていると、その業界の「若さ」のようなものに驚かされます。この業界が持っている「若さ」が「日本風」にアレンジされると
「波の数だけ〜」になるような気がしたのは私だけなんだろうか。
なんとなくアマチュアな人たちが、あれよあれよという形で何かをスタートさせて、
ITのバックグランドがあるかないかとは関係がなさそうな「大人」がそれに乗っていく。
「若者の論理」と「大人の論理」の両方を知っているコーディネータは、自分がどちらの「論理」に乗っていいのかジレンマを抱えながら、流れに身を任せる。
この間、エントリーを挙げたソーシャルゲーム関連の本でも「博報堂」出身の広告マンが
社長の企業が出てきた。そう、この会社が売りにしている携帯電話のコンテンツも
「恋愛とバトル」。
中山美穂」のはまり役になった「田中真理子」が最後に飛び立ったのはアメリカでしたが、
そういえば、あの社長もハリウッドで映画の勉強をしていたと、インタビューに答えていた。
この映画がOnAirされている頃、この社長はまだこの代理店に在籍していたのかな。
機会があったら、年譜をみて、調べてみたい。

僕がこの映画について書きたかったのはこういうことだったんだろうか。
中途半端に世間ずれした、わかったような口上などここに並べてもなにか生産的なことが
あるわけでもなんでもない。

感覚っていうのは大事だと。
「吉岡」が恋人を同席させて、湘南の浜辺に車で乗り込んでくる。
案の定、車のタイヤが海岸の砂にはまってしまい、車は動かなくなる。
湘南の海を知り尽くした「真理子」がそこで鮮やかに登場する。
ぶっきらぼうに、助っ人を買って出る。
「吉岡」はそんな「真理子」に一目惚れをしましたなどと書いても、
何か、伝わるかというと、それは無理だと思う。
かほどに感覚というものはやっかいだ。

「ずっと君が好きだった」とマジックで目一杯書き込みをしたTシャツを
松下由樹が、ガバっと脱ぐんですといっても、テキストの無駄をやっているようにしか
思えない。

今、僕がこのシーンについて描写しているとき。
感覚というものを、書ききることには完璧に失敗している。
ようやく、目標にしていた字数にまでたどりついたけど。
だから。
書きたかったのはこういうことなのか。
「波の数だけ〜」について、何かを書くということを、僕はやってみた。
でもどうやらうまくいかなかったようだと。

僕は、このDVDをめぐって、いままでしたことのない体験をした。
返却予定は1週間というのが通例ですが。
鑑賞したその翌日に、返却いたしました。
借りたはいいけど、返却の期限を忘れて延滞の料金を払ったことがあるくらいなのに。
なぜか、体が動いて、このDVDだけははやいとこ返さないといけないと。
体が動いていた。
「波の数〜」をみて、何かをみたのかな。