電子書籍の時代は本当に来るのか (ちくま新書)

電子書籍の時代は本当に来るのか (ちくま新書)


歌田明弘の「地球村の事件簿」
以前、すでに電子書籍をあつかった本についてはエントリーを
あげました。
「電子書籍と出版」 - book-loverの日記
そして、こんな本も仕入れして、サンプルを動かしてみたり。
iPad電子書籍アプリ開発ガイドブック

iPad電子書籍アプリ開発ガイドブック


さあ、これからどうなるのでしょうかね。
電子書籍ソースコードを眺めて、写経して、サンプルを
動かして思ったことは、いろいろありますが。
もともと、プログラムの世界には、「ゲームプログラミング」から
入ったんだっけ。あれから、右にいったり、左にいったりって感じ。
「ゲームプログラマになる前に、覚えておきたい技術」を習う前に、C++を勉強する。 - book-loverの日記
ずいぶん、いろいろな種類のゲームを動かしたな。
まだ、アレンジを加えるところまではいっていないけど。

電子書籍アプリをうごかすために記述するソースコードと、
ゲームアプリをうごかすために記述するソースコード
関連性について夢想しておりました。
Google Map も使える。
動画ファイルを添付することもできる。
もちろん、音声ファイルを添付することもできる。
テキストも、いくらでも添付できる。
当然、書籍アプリという形でありながら、ミニゲームのような
ものの、ソースコードを挿入しても大丈夫なのだろうと思います。
本屋に奉仕するプログラマーと、ゲームを制作して販売している
プログラマーの垣根が、これから壊れるのではないかなと思ったものです。
とりあえず一区切り - book-loverの日記
恋愛小説を書いて、販売する小説家と、
ノベルゲームの脚本を書いて、それがゲームアプリとして流通することの
違いは、「電子書籍」という媒体の形を使うと、曖昧になってきます。
「書籍」は、目しか使わないでよかったけど。
電子書籍」になると、聴覚 視角 両方いけます。
タッチパネルという操作感覚を「触覚」といっていいなら、3つの
感覚を全部使うことを前提にしたメディアの開発もできるようになってきた。
もともと、できたわけですが、それが、一般化する下地が果たして
整ったといえるのかどうかということが問題。
ゲームアプリと、「書籍」の最大の違いは、多分、「双方向性」だったのだろうけど、もうその違いも、かなり埋まろうとしている。
もちろん、人が「書籍」を読むときに、「電子書籍用端末」を
使うのかどうかというのは、まだ未知数なわけですが。

本書 26ページ

翌1999年2月末、政府が補正予算を組むことになり、鈴木氏たちは通産省から電子書籍実験の予算を申請しないかと声をかけられた。それから、急遽概要がかためられ、10月には出版社やメーカーからなる「電子書籍コンソーシアム」が設立された。

小学館と新潮社につとめている人が、日本列島でも電子書籍というスタイルで
読書をしてもらうプロジェクトを立ち上げている人がいたというお話。
そこから、電子書籍ベンチャービジネスが生まれるという経緯。
そして、ソニーを筆頭として、聞いたことのある家電メーカも、
データのやり取りだけで、人々が「読書」体験ができるような仕組みをつくることに関心があったのだと。
この頃には、僕はもう大学生やっていたわけですが、まさかこんな動きがあったとはつゆ知らず。
タイムマシンに乗っていたら、こんなネタを抱えて、内定もらうために
小学館にいっていたのかもしれない。
歴史に「もし」は禁句ですけど。
ストリミーングとかには興味があったような気がする。
まあ、大学生の時の自分のメンタリティと、今を比べても意味がないですが。
でも、「世間」の動きの「あり方」にはやはり違いはあったのではないかなと
思います。
すでに、「電子書籍」というトピックは、本屋にもジャンルが出来上がっているし。テレビでの特集もあったし。
インターネットに対する、感覚も違っているし。
ありとあらゆる情報を、インターネット経由で入手しようという「生活感覚」
がいまはきっとあるだろう。
とある、喫茶店で、大学院生から話を聞いた。
「ところで、君はiphoneキンドルを使って本を読んだり、論文を読んでみたりしようとするのかい?」
彼の答えはあまり積極的なものではありませんでした。
まだ、端末を買う余裕資金がなさそうだったけど。
今日、会った学生は、すでにキンドルを所有していた。
図書館にいって、分厚い小説や技術本も読んでいるようだけど。すでに
電子書籍の恩恵をうけているようだ。
彼のような世代が、思いのほか多ければ、今度の「電子書籍ブーム」は
本物になるかもしれない。
もっと、iphone キンドル ipad ユーザの人から直接いろいろな話を
聞いてみたいものだ。

この本の最初のほうでは、この「市場感覚」について書かれております。
ようするに、いままでこういうブームが何回かあったけど、
そのまま一過性に終わったということです。
この流れをアマゾンやアップル、そして1章独立して書かれているグーグルといった会社が変えることができるのかどうかというのが、この本のメインに
なります。
いろいろなことが書かれています。
筆者自身、すでにこの話題に強く、本も出版経験があるということで
かなり実務的な話も登場しています。
というのが、この書籍のメイントピックです。

一番、参考になったのは第2章かな。
「グーグルは電子書籍を変えるか?」
この会社が、世界の書籍を、どんどんスキャンにかけて、つまり
グローバルに「自炊」をして、そのデータをインターネットにアップロードして
ユーザに提供するというもの。
この企てが、一体、現状、どういう経緯を進んでいるのかということを
うまいことまとめていると思います。
ざっと全体を通読してから、ここの章は再読させてもらいました。
本というのは、
それを書いた著作者
それを出版する出版社
書店
印刷会社
書籍問屋
などなど。本が、ゼロから作られて、書店に並んで、読者の手に届くまでに
いろいろな「当事者」がいる。
今の日本の法律では、ひとたび、「本」「著作物」を頒布したり、販売して
利益をあげようと試みると、この「本」「著作物」に関係した人たちに
「承諾」「許可」「交渉」が不可欠になっているということ。
グーグルが、大学の図書館の本を、どんどんスキャンするということになったとき、じゃあ、そのスキャンする本の「制作」に関係した人たちと、どういう
取り決めをして、事業を前に進ませるのかということになります。
巻き込む人間の数が半端ではないので、当然、巻き込まれた当事者の中には
グーグルのやっていることに反発する人が出てくる。
グーグルのこのプロジェクトでひょっとしたら「収益」が生まれるかも
しれないと。では、この皮算用の「収益」の分配はどうなるのかとか。
ということで、こういう「交渉」は、シリアスなものになってきます。
それが、シリアスになっていることは、知っていたつもりでした。
が、しかし。この新書ほど、詳細に丁寧にはフォローしておりませんでした。
グーグルと、アメリカの出版関係者の間の交渉の経緯。
グーグルと、日本の出版関係者の間の交渉の経緯。
こういったところが、かなり詳しく書かれています。

本書 142ページ

グーグルは「図書館の本の80パーセントは絶版本」と言っているが、流通している本より、していない本のほうがずっと多い。グーグルはこのような絶版本を手始めに、書籍全般さらには、新聞、雑誌、その他のコンテンツの電子データの閲覧や販売ビジネスにまで手を広げていくと思われる。

こういう下りも、社会人経験を積むと、興味深い。
なんといいますか。学生やっていた名残でいまだに本を読むのはすきなわけです。
仕事柄、質のいい学習参考書とかもコレクションしていきたいなと思ったり
します。
でも、欲しいと思った学習参考書が絶版ということ。とっても多いです。
試しに、自分が浪人生をやっていたときに、使用していた数学の学習参考書とか
探したけど、中古本として、とんでもない値段がついていたりします。
この間も、大学の先生の推薦本が欲しかったけど、やはり品切れ重版未定に
なっておりましたし。
まあ、世の中の「本好き」という人たち全体を考えたら、その本が欲しいという
人があまりにもとるに足りないから、絶版になったりするわけです。
でも、そういう絶版本や、品切れ本も、それぞれの本をリクエストする人たち
を集めていくと、すごい数になるのではないかというもの。
まあ、商売や、計算のことはさておくとして。
絶版になってしまった本の「復活」は「公共事業」なのではないかと思う
今日この頃です。
僕は、サラリーマンをやっていた頃もありました。
マンションの分譲事業を主要な事業にしていました。
同じ業種の競合他社から来た人に、同席していろいろな話を伺う機会が
ありました。
いろいろ聞いたお話の中で、これは面白いとおもったものがあります。
「やり手の法務マン」というのがどんな人かというもの。
新興の不動産事業者は、まずマンションを建設したら確実に売れそうな
土地を仕入れするのに、とても時間がかかる。
というか、条件のいい土地をもっている人は、まず信頼のある大手の
不動産事業者に話をもっていく。
だから、できたての会社が、土地の仕入れをしようとすると、土地に
なんらかの権利を持っている人がたくさんいて、地上げをするのが
いやになるような、「リスキー 」な土地を買う。
その土地を、借りる権利を持っている人とか。その土地の一部を
借金の片にしている人とか。
あまりにも土地の権利関係が複雑で、不動産事業者が、その土地を買うのを
いやがるようなところに、飛び込んでいって、権利をもっている当事者
1人、1人から「承諾」をもらって、ある土地での分譲事業ができるように
「地ならし」をしていく。
そういうことが得意な人たちがいるという話を聞いた。
そういう人と、実際に土地の権利関係の交渉をされていたそうです。
これは、大規模な不動産プロジェクトになると、よくある話のようです。
六本木ヒルズなんて、東京の名所がありますけど。あそこも、広大な
土地に権利をもっている人たち、一人一人に、頭を下げていくという膨大な
作業がまずあったのだと。
それこそ、何十年という単位で。
そう、巨大プロジェクトというのはそういうものなんですよね。

この「不動産」「土地の権利関係」を巡る話は、
そのまま「著作物」「電子書籍」にそのまま当てはまるということ。
端末を持っている人は、もう紙の本がいらない。
だから、本棚もいらなくなる。
という「テクノロジー」の問題は、もうかなり昔から解決されてしまっているのだと。
ところが、遡上にのせたい「商品」にまつわる「権利関係者」が
事業の前進にまったをかける。
電子書籍」を巡るプロジェクトの数々の挫折も、ようするにここにいきつく。404 Blog Not Found:Android vs. iPhone が Windows vs. Macにならない理由

この点において、Android「陣営」は、解決に向かって動いているふしすら見られない。著作権の世界というのは"Don't be evil"という錦の御旗が通用しない世界だ。「石頭」で「強欲」な既得権者たちを手間暇かけて説得していくしかないのだが、Appleだけがこの"the long and winding road"を、既得権者たちが納得する形で歩んだ。The Beatlesに対してAppleは完勝したのに、「勝ったのはThe Beatlesです」といわんがばかりに、偉大な、しかし半分は鬼籍入りし、もう半分も64を過ぎたご老体たちを立てているのには立派な理由があるのだ。

個人で、やっておりますから。
大きなスケールというのはほどほどにする必要があるわけですが。
「ビジネス」というもので「コミュニケーション」というものが
大事なんだということが、身にしみてわかる話です。
そう、1人では何もできないのですよね。グーグル様だってそうなんだと。