電子書籍と出版─デジタル/ネットワーク化するメディア

電子書籍と出版─デジタル/ネットワーク化するメディア


そこそこ楽しめる本になっているのではないかと思います。
Google のように世界を動かす先端企業がつくるビッグウェーブに
あとから遅れて、反応する業界の様子というものがどういうものかが
わかる。
以前、このブログで、Value Creation と Value Capture という
ことも、引用で、話題にした。
ここでも、この問題が浮上している。
Google の中にいることができない人間でも、
そのおこぼれにあずかるビジネスは可能かもしれないということ。
だって、そこにはGoogle クラスの人間はいないのだから。
だから、そういうところに、一目散に走っていけという方向と、
そこで、あえて、相対性の理論を無視した行動をとるのかということが
人生の分かれ目になるのだろう。
ただ、教育に関与している間に関しては、先端的なものへのアンテナは
張っていたいと思う。

電子書籍と出版 | ポット出版

?─「2010年代の『出版』を考える」
IT企業の経営者であり、アルファブロガーとしても知られる橋本大也、文芸評論家、フリー編集者として電子書籍を追い続けてきた仲俣暁生と、早くから出版活動のネット展開を手がけてきた版元ドットコム組合員である高島利行沢辺均の4人が語る、「電子書籍の可能性」「書き手、出版社はどう変わるか?」。

総論として、とにかく電子書籍に関する話をなんやかんやとしている。
電子書籍に関心のある人で、集まることができるだけで
商品をつくることは可能なんだなと素朴に思いました。
twitter の可能性にもつながると思う。
すでに、新しいメディアになっているんだね。

?─「電子出版時代の編集者」
2009年10月に、アルファブロガー小飼弾氏との著書『弾言』と『決弾』のiPhoneアプリ版を製作し、自らの会社から発売したフリーライター/編集者の山路達也に訊く、書籍の執筆・編集から電子書籍の製作、そして発売後のフォローアップまで、多様化する編集者/コンテンツ製作者の「仕事」。

おそらく東京大学の文学部を卒業したらしい人が、自分で会社設立して、
弾子飼の本をiPhoneアプリにするということをやったらしい。
その時の経緯が書かれている。
ようするに、電子書籍という商品が売れて儲かるのかどうかということが、一番大事なわけです。彼は、その実際に売れるのかどうかということを体験しました。
そこに、ロジックなんかなくても、これが一番大事です。


95ページ

実際、売れ数は数千単位ですか、それとも万単位?

回答
万はいかないですね。まあ4桁です。(2009年10月21日から2010年5月23日の間に、「弾言」「決弾」の2冊合わせて8836部を販売)

その数字ではなかなかつらいものがありませんか。1冊350円だから、仮に1000ダウンロードだとしたら、末端で35万円。アップルの取り分が3割だから、手元にくるのは24万円から25万円。2000としたら40万から50万。あたらしく、書き下ろした訳ではないし、悪いとまではいいませんが。

?─「20年後の出版をどう定義するか」
電子書籍の権利やフォーマット、教育現場での使用に詳しい東京電機大学出版局の植村八潮に訊く、「書籍が電子化される」ということの根源的な意味、「本であること」と「紙であること」はどう違い、どう結びついているのか?

そこそこ技術に明るいのではないかという人が、
いろいろなことを話しています。

148ページ

そういえば昔、電大でも情報系の本をだしているから、プログラマーやSE に執筆依頼したことがあったんだけど、彼らの原稿の締め切りをまもることに対するナーバスさはすごかったな。「すみません!とにかくあと3日まってください」という感じ。3年待つような原稿もあるのにさ(笑い)。

本を作る世界はそんなにいい加減なのか。僕は父からの教えで唯一覚えているのは「時間を守れ」だった。
そうもともとここまで文化が違えば違うほど、二つのスキルが融合するときの可能性は大きいといっていいのではないかなと。
逆に、二つの分野をまたいで、調整ができる人間というのもそうそういないのではないかと思う。
ビジネスチャンスというのはそういうところにあるのだろう。

?─「出版業界の現状をどう見るか」
出版、そしてメディア産業全体の動向を20年間追い続けている「文化通信」編集長・星野渉が解説する、出版業界の現状と、急激な変化の要因。

内容に関しては、上記のポット社からのコピペが要約になっています。
大学で非常勤講師をやっている人が書いたものだけあって、データの
取り扱いなども丁寧です。
それと、記者をやっているという職業柄、出版業界のキーパーソンと知己であるようです。それを売りにして、仕事にしているという面もあるのでしょう。具体的に、大企業の上役が登場して、電子書籍の話がとても生々しいものになってきますよ。
アメリカの電子書籍市場の動向などにも一部触れられていて、
この先の日本の電子書籍市場がどうなるのかという点について
示唆になっていると思う。
この筆者の記事の部分は面白い部分が多かったので、ちょっといろいろ
引用させていただく。

157ページ

「出版業界の売り上げのピークは1996年で、それ意向はずっとマイナだ」といわれていて、実際、出版全体の売り上げの推移はそうなのですが、より消費者の需要を示す販売部数でみると、違います。雑誌の販売部数のピークは1995年時で、当時は「週刊少年ジャンプ」が680万部というとんでもない部数を出していた、まさに全盛時代でした。一般的にはバブルが崩壊して、景気がよくない時代でしたが、当時の出版業界の創刊記念パーティはホテルの会場を貸し切って、豪華な景品のビンゴゲームをしたり、ある会では全員にタグホイヤーの時計をお土産としてわたしていたり、とにかく雑誌が儲かっていた時代でした。

168ページ

2010年のはじめから、Amazon は日本の出版社に対して、「新刊が出たと同時に電子ブックを出せる体制を整えてください」「校了データを提供できるように整えてください」「それをいつでも提供できるように権利処理をしてください」という三つの働きかけを始めました。この三つの条件をある程度売れ筋を出せる出版社がクリアしない限り、日本での電子書籍販売はスタートしないと思います。

制作行程の点では、雑協が2010年の1月から2月にかけて100誌程度をデジタル化して行った実験の際も大変くろうしました。あまりにも元のデータのフォーマットがバラバラだったので、印刷所も悲鳴をあげてしまったそうです。なぜバラバラのフォーマットだったのかというと、雑誌には、編集部や編集プロダクション、フリーのカメラマンからライターまでたくさんの人がかかわっているために画像処理ソフトやDTP ソフトの統一ができないためです。またレイアウトにこったページの場合、組版データではなく画像データとしてつくってしまうこともあります。印刷物にするだけなら、バラバラのデータも一様にわりつければ本にすることができますが、これをもう一度、デジタルとすると大変なわけです。出版社や印刷所がもっているデジタルデータは印刷するためのデータにすぎず、デジタルコンテンツに転用できるデータになっていない、という現状は今回の実験ではっきりわかりました。

こういう技術的な問題に、IT で解決をあたえることができたら、
ベンチャーになりそうだなと思い。ここにメモしておく。
と思ったら、こういう問題を担当しているのは、大日本印刷のM&A 担当者だった。つまり、こういう問題を解決できるプログラマーは、その技術を森野さんにもっていけば、買ってくれるかもしれないということ。
この本を読んでいて思ったけど、やはり電子書籍を作って、販売まで持っていくという技術自体は、やはりチープなのではないかということ。
つまりは、単純だから、新規参入が簡単すぎて、あっというまに、
利幅が減るのではないかなと、ふとそんなことが思った訳です。
でも、こういう制作工程での問題そのものに、プログラミングによって解決を与えられるなら、それは差別化になるのではないかなと。
どういった分野の研究が応用されるのかなとか、わくわくします。
そして、個人的な類推ですが、すでに、こういった場面で役に立ちそうなアルゴリズムが、どこぞの大学の研究室でお蔵入りしているのではないかなとか。そんなことも思います。
そういったことも、異なる分野との出会いが、付加価値を発生させるということなのではないかな。


172ページ

たとえば、新潮社の食い扶持は、村上春樹の「1Q84」ではなく、ドストエフスキートルストイ夏目漱石の文庫本なのです。ある1つの書店で夏目漱石が年に5冊うれるとして、全国の書店を合わせると、相当な数になります。一度、つくってしまえば編集などの費用は非常に安く、しかもパブリックドメインですから、印税はいっさいはらっていません。そのバックリストを大量にもっているため、1つ1つの回転率はそれほどでなくても、大きな収益があがる、というのが、日本の出版社のビジネスモデルなのです。

これは、個人的には衝撃でした。なんというか、派手な広告宣伝や、マスコミの報道に、目を奪われてしまって、巨大企業の本体を支える主力商品の正体が何なのかということで、鱗がおちた。
ありふれすぎていて、とくに意識するようなことがないようなレギュラーものが、やっぱり、土台になっているということは、あらゆる分野に共通する真理なのではないかと思う。
夏目漱石とかになると、学校の先生が、学生に「指定」なんていうことも
あるだろうし。

?─「編集者とデザイナーのためのXML勉強会」
元「ワイアード日本版」のテクニカルディレクター兼副編集長を務めた深沢英次による、タグつきテキスト、XMLの「基本構造」を理解するための解説。

なにげにとても参考になりました。本の構成としてはこの部分を一番最初にもってくるという選択肢もあったかもしれません。
本の編集に関与している人間の中には、インターネットとPCの使い方、およびそういった技術について語るために用いられている用語についての
心得があまりない人が多いようです。
そうすると、なにがおこるのかというと、この本の中で行われている対談で、特にIT が絡むところになったところで、一体どういう話を
しているのかがよくわからなくなる場合が多いです。
「構造化」という言葉が本書の前半のほうで出てきた時に、なにがなんだかよくわからなくなりそうになりましたが、この最終章で、電子書籍のフォーマットについてあつかったこのテキストを読めたおかげで合点がいきました。

204ページ
あわてずに、今やるべきことをやりましょう。それは、「文章の構造化」ということの意味を理解すること、そして「スタイル」や「アウトライン」機能を活用して、編集やDTP でも計画的な作業を行うことです。

ビジネスにおける変化というのは、異なる分野にある何かが、結びついた時に起きるものなのではないかと思っています。
私は、この記述を読んでいて、「電子書籍」という商品が売れるか売れないのかという問題の際におこっている実際について考えました。
つまりは、インターネットにつないだPCでウェブを見る人のために
ホームページを作ったり、プログラミングをしたりしている人たちの
業務内容と、本屋で買ってもらうための本をつくるための業務をしている
人たちの業務内容が、交錯しようとしているということです。
いや、交錯というのは、相互に対等な分野が、コミュニケーションをとるときに、使用されるべき言葉だと思います。
回線でつながったPCに、文字でも、画像でも、動画でも、音声でも
何でも、自由に配信できるという圧倒的な合理性を備えた
IT 業界が、「紙の媒体」という制約のもとで、ハイテクともあまり縁が
なさそうだった「出版」の世界に、本格的に乗り込む時期が
きたのかどうかということだと思います。
世界史の授業だったかに、スペインやポルトガルからやってきた
ピサロとかコステロが、南米のインディアンに出会うときの光景というのはこういうものだったのではないかと思いました。