ドラマが終わってしまった状態で、やっと読了しました。
ドラマになる小説ではよくあることだけど。
原作とは、装いがかなり違いますね。

幕末が時代背景にありますけど。
井伊直弼だったり。
西郷隆盛だったり。
坂本竜馬だったり。

超有名な、江戸城無血開城に絡んで、ちょこっとだけ
西郷が出てくるかなみたいな。

お約束の英雄たちは、ほとんど出てまいりません。

日本の歴史の授業で勉強するような出来事は、

「こんなことがあったそうな」
「あんなことがあったそうな」

という形で、ほとんど伝聞形式で伝わる。

なぜなら、この小説の主人公は、ずっと大奥というハーレムにいる
お姫様だから。

あるのは、絢爛豪華というか、当時の上流階級の文化の粋を結集させた
消費生活だけがある。
篤姫は、どうやら、政治というものに、なにごとかなさんとしていたのかも
しれませんけど。

歴史的な大変動。
歴史的な大事件というものの、インパクトの大きさを読者に伝えるには、
いろいろな方法があると思う。
ひとつは、あますところなく、大きな物語を描ききろうとする手法。
大河ドラマというのは、この路線なのではないかと思う。

もうひとつの方法は、
どんなに、時代の転換点の中枢に近いところにいる人間でも、
事件の全貌の中で、関与できるのは、ごくごく一部なのだということを、
伝えること。
この小説が、とった技法は、後者なのではないかと思う。
将軍の私生活を、ともにする。
将軍の、プライベートを知っているという立場から、
「瑠璃の穴から、天をのぞく」ように、
激動の時代に翻弄される。

ひょっとしたら、いま、私たちがいきているこの時代も、あとの時代の人からみたら、
「激動の大きな転換点」と評価されるかもしれない。

でも、そんなことを、今、現在自覚しながら、生きている人間がいたとしたら、
それはすこしおかしい人に分類されるだろう。

圧倒的な多数の人は、おおきな動きの中の「かけら」として、流されて生きるのだから。

やれ、公武合体を勧めるだの。
やれ、薩長同盟を成立させるだの。
やれ、江戸幕府をつぶすだの。

堂々たるビジネスに参画している人たちは、この小説ではほとんど登場しない。

薩摩からやってきたお姫さまのささいなマナーの悪さに、ちくちくいうOLが出てきたり。

篤姫を「教育」するのに、必死になる人が出てきたり。

結婚式の段取りに命を燃やすお局が出てきたり。

そのとき、そのときの「庶務」に身を燃焼させる人たちが、

アタック・ナンバーワンをするのです。

「仕事」って、ほとんどそんなもんだよなと、思う私にとって。

この作品は、たくさんの人の共感を呼んだのではないかと思う。


生活の文化だけがある。