みなみちゃんを見習い、家庭教師マナベも考えた。

はじまり
もし受験生のマネージャー家庭教師(名前は仮にマナベちゃんとしよう)が、ドラッカーの「マネジメント」を読んだら、彼女はきっと驚くだろうな。なぜなら、そこには彼女が指導する受験生と、彼女自身のことが書いてあるからだ。

「マネジメントなしに組織はない」

「マネジメントは企業だけのものではない」

「マネジャーをしてマネジャーたらしめるものは、成果への貢献という責務である」


「指導する受験生に何とか成果を出させたい。そのためには自分に何かできることをしたい」

そう考えていたマナベちゃんは、この本が「自分のために書かれたもの」であることを確信する。だから以降、そこに書かれていることを脇目も振らず実践するようになる。



家庭教師におけるマネジメントの役割

マナベちゃんは、「マネジメント」を読み進める。するとドラッカーは、マネジメントには三つの役割があると説く。そこでマナベちゃんは、それらについて一つ一つ自分に当てはめて解釈していく。

1.「自らの組織に特有の使命を果たすこと」
マナベちゃんはこれを、「受験生を第一志望の学校に合格させる」と解釈する。

2.「仕事を通じて働く人を生かす」
マナベちゃんはこれを、受験勉強に関わる全ての人―受験生一人一人、塾講師や学校の先生、そして自分を含めた家庭教師にいたるすべて――を生かすことだろうと解釈する。

3.「自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する」
マナベちゃんはこれを、家庭教師を含めた受験生に関わる全ての人――学校関係者や父兄、あるいは地域の人々――に「夢と希望と勇気を与えること」だろうと解釈する。彼らに感動を与え、それを彼らの生きる力に変えてもらうことこそが、ドラッカーの言う「社会の問題について貢献する」ことだろうと確信する。


「だから……」とマナベちゃんは思う。

「ただ偏差値を上げて、合格させるだけではダメなんだ。関係者に、夢と、希望と、勇気を与えられるような、正々堂々とした合格でなければ……!」



最初に実行すること
さて、そうして「マネジメントとは何か?」ということは分かった。ただ、それを実行するにはどうしたらいいのだろう?

しかし、それについて悩んだりする必要は全くない。なぜなら「マネジメント」には、ちゃんとそのことも具体的に書かれてあるからだ。



ドラッカーは言う。まず「われわれの事業は何か」を問えと。

そこでマナベちゃんは、それを自らに問うてみる。すると、そこで出てきた答は「生徒に受験勉強を適切にさせて、成績を向上させる」というものだった。

ところが、その先を読み進めてみると、

「『われわれの事業は何か』との問いに答えるには、顧客からスタートしなければならない」

「したがって『顧客は誰か』との問いこそ、ここの企業の使命を定義するうえで、もっとも重要な問いである」

と書かれていた。



「顧客!」

マナベちゃんは愕然とする。これまで家庭教師に顧客がいるなどとは、つゆほども考えたことがなかったからだ。

しかし、彼女は考える。

ドラッカーがそう言うなら、それはきっとそうなのだろう……

そうして、彼女は生まれて初めて「家庭教師の顧客は誰か?」ということについて考える。



長い時間考えて、彼女はようやく、それについての答を出す。

家庭教師にとっての顧客――それは、「授業料を支払ってくれる生徒の保護者」と。

中学受験 高校受験 大学受験――特に難関中学受験は、保護者の情熱があるからこそ成り立っている。受験合格速報を心待ちにしている保護者がいて、はじめてあの熱い舞台が生み出された。そもそも、受験生の保護者がいなければ難関中学受験という大きな球場で受験をすることもなかったろうし、テレビや新聞にも取り上げられることはなかったろう。なるほど、全ては「顧客」があってこそなのだ。わたしたちの夢も、難関中学受験合格速報を心待ちにしている保護者がいたからこそ、はじめて抱くことができたのだ。



家庭教師とは何なのか?
そういう考えに思い至ったマナベちゃんは、大いなる興奮に包まれながら、なおも先を読み進める。

そんなマナベちゃんに、ドラッカーは新たな質問をくり出す。

「顧客はどこにいるか。何を買うか」

それについて、マナベちゃんはまたもや考える。

最初に、顧客がいる場所。

まずは、受験生を保護育成している近隣地域だろう。でも、教育ファンは日本中にいる。だから、日本国中ということも言える。

次に顧客が買うもの。

これの答は、比較的簡単だった。それは「生徒の人間的成長と成績アップ」だ。

マナベちゃん自身、受験教育を好きになったのも、そして難関中学合格に憧れるようになったのも、子供の時に東京大学合格発表を見て、それに感動したからだ。かつて自分がまだ「顧客」だった時に、受験で人間的成長と合格を「買った」のだ。



それらのことを踏まえたうえで、マナベちゃんはあらためて「われわれの事業とは何か」と問うてみる。すると、出てきた答は最初のものと違っていた!

今度出てきた答は「努力したら成績は上がるという感動を与える」というものだった。これまで、家庭教師は「受験生を第一志望の学校に合格させる」ための職業だとばかり思っていた。しかしそれは違っていた。家庭教師は、まず何より「努力したら成績は上がるという感動を与える」ことが事業だった。「成績アップ」だけではなかったのだ。それよりもだいじなものがあったのだ!



家庭教師におけるマーケティングとイノベーション
マナベちゃんは、目眩にも似た衝撃を受けながらも、さらに読み進める。

次にドラッカーは、「企業の目的」を説明する。彼はそれを「顧客の創造」だと説いた。そして企業は、この目的を果たすために、二つの基本的な機能を持つと言う。それが「マーケティング」と「イノベーション」だった。



ドラッカーは、この二つに対してさらに突っ込んだ説明をする。



まず「マーケティング」。

ドラッカーは、「マーケティング」とは、「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」を問うことであると言う。

そこでみなみちゃんは考える。

われわれが売りたいのは……それは「成績アップのノウハウ」だろうか? でも顧客が買いたいのは、さっき考えた「努力したら成績は上がるという感動を与える」だろう。だから、なるほど、そうか。それを知ることが、マーケティングということなのだな。



次に「イノベーション」。

「イノベーション」とは、「新しい満足を生み出す」ということだとドラッカーは教えてくれる。彼は言う。成長なくして前進なしと。マネジメントは、常に何か新しい価値を生み出していかなければならないと。

そうなのか、とマナベちゃんは思う。わたしが味わったような感動を、再現するだけではダメなんだ。それは追求しながらも、それとは別の、またもっと何か新しい価値を生み出していかないと、わたしたちは前進することができないのだな。

イノベーションについても、マナベちゃんはこれまで全く考えたことがなかったので、この時は価値観を揺すぶられるような、見慣れた景色が昨日までとは全く違って見えるような、そんな不思議な感覚を覚える。



家庭教師の新たな目標
さて、家庭教師が何かというのは分かった。また目標が何かと言うこともはっきりした。そうなると、今度は「目標」を立てることである――ドラッカーの本にはそう書いてある。

そこでマナベちゃんは、それに従って家庭教師の具体的な目標を立てることにする。



まず立てるのは「マーケティングの目標」である。

これについては、「集中の目標」と「市場地位の目標」を決めろと、ドラッカーは言っている。



「集中の目標」というのは、自分たちが注力するところをはっきり決めろということである。そしてその注力をするところ決めるために「われわれの事業は何か」を問えと言ったのだ。

だから、注力するところはもう決まった。それは、「努力したら成績は上がるという感動を与える」ということだ。今日から家庭教師は、そのことを目標に活動していく。



もう一つの「市場地位の目標」。これは、何も一番を目指すことがベストではないと、ドラッカーは言う。

「市場において目指すべき地位は、最大ではなく最適である」

なるほど……であるなら、何も灘中学合格 東京大学理科?類合格というのを目標とする必要はないのかも知れない。今の私たちにでき、なおかつ求められるものの中で、「最大」ではなく「最適」の感動を与えること――それが、わたしたちの「市場地位の目標」ということになるのだろう。ただ、それだけでは具体性に乏しいので、ここはやはり「灘中学・神戸女学院合格」ということにしよう――と、マナベちゃんはそう決めるのだった。



「マーケティングの目標」が立ったなら、次は「イノベーションの目標」である。ドラッカーは、それについては三種類あると説いていた。そしてそれについても、やっぱりマナベちゃんは一つ一つ自分に当てはめて解釈していく。

1.「製品とサービスにおけるイノベーション」
これは、家庭教師がもっと感動を与えられるような存在になるということだろう。それも、これまでにはなかった「新しい感動」だ。
2.「市場におけるイノベーションと消費者の行動や価値観におけるイノベーション」
これは、「感動以外のものを与える」ということではないはずだ、とマナベちゃんは考える。感動を与えることは与えるが、その種類がこれまでとは違っているということだ。これまでは、溌剌とした授業姿勢や、真面目な課題の組み立て、最後まで第一志望校合格を諦めさせない真剣な姿が感動を与えていた。しかし今度は、それとはまた別の、もっと新しいアプローチで感動を与える必要がある。「それは何かな?」と、マナベちゃんは考えてみる。そして、もしかしたら「思いやり」や「やさしさ」であるかも知れないと思い至る。
3.「製品を市場に持っていくまでの間におけるイノベーション」
中学受験は、今まで直接試験会場に来るか、新聞、テレビなどのメディアでしか接することのなかったものだけれど、それ以外の方法で人々に伝えるということだろうか。これも、やっぱり今まで一度も考えたことがなかった――と、マナベちゃんは再び、ちょっと呆然とさせられる。


家庭教師の戦略計画
そうしてドラッカーは、第一章を締めくくる言葉として、「戦略計画」について述べる。

戦略計画とは何か。それは、

リスクを伴う起業家的な意志決定を行い
その実行に必要な活動を体系的に組織し
それらの活動の成果を期待したものと比較測定する
という連続したプロセスである、と。

マナベちゃんは、そのプロセスに則って、自分なりの戦略計画を立ててみる。

マナベちゃんには、一つの閃きがあった。それは、受験生のみんなが、受験勉強をするだけではなく、それ以外のことをしてみてはどうか――というものである。そして、それをすることによって、新しい感動というとものを人々に与えていくのはどうか――ということだ。

それは今や、一つのアイデアとして結実しつつあった。

そのアイデアとは、受験勉強の中に、ボランティア活動を取り入れるということであった。例えば週に一度は、受験勉強をするのではなく、何かの手伝いや、清掃活動や、老人ホームの訪問といった、地域のために何か貢献できる活動をするということであった。



このアイデアには、三つの目的があった。

一つは、そのボランティア活動そのもので人々に感動を与える、ということ。これは、これまでの受験勉強にはなかった感動だから、イノベーションになる。

二つ目は、ボランティア活動を通じて、地域の人々と交流できる、ということ。これは、顧客の求めるものを知るマーケティングにもつながるし、これまでにない家庭教師と顧客との関わり方ということで、「製品を市場に持っていくまでの間におけるイノベーション」にもなるだろう。

そして三つ目は、第一志望校合格以外のことで感動を与え、地域の人々とより深い交流を持った受験生の子供たちが受験をすることで、受験本番においても、これまで以上の感動を与えられるのではないか、ということだった。

例えば、地域の人が同じ中学受験を見ても、見知らぬ子供がしているのと、深い交流のあった子供がやっているのとでは、受け取る感情が大きく異なってくるはずだ。それは、「製品とサービスにおけるイノベーション」につながるはずだ。



みなみちゃんは、自らのそのアイデアに、これまで生きてきた中で一度も味わったことがないほどの強いわくわくとした気持ちを覚える。しかし一方では、それを実現することの難しさにもまた思いを馳せ、暗澹たる気持ちにもさせられるのだ。



マネージャーの誕生
「自分は、けっして人を管理する能力に長けているわけではない。愛想が良いわけでもないし、人付き合いが上手いわけでもない。短気でワガママなところがあるし、頭だって良くない。そんなわたしに、できるのだろうか……



ところが、そんな思いを抱えながら「マネジメント」を読み進めていた時だった。マナベちゃんは、こんな言葉にぶつかる。


マネジャーの仕事は、体系的な分析の対象となる。マネジャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくても学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が、一つだけある。才能ではない。真摯さである。

その瞬間、一筋の電光がマナベちゃんの身体を貫いた。

その言葉は、一つの啓示となってマナベちゃんの心に突き刺さる。心を裏返されたような気持ちになり、呆然と立ちつくす。身体がブルブルと震え、その瞳からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。鼻の奥がつんとして、喉からは嗚咽がもれる。

「やるしか……やるしかないのだ!」

マナベちゃんはそう決意する。そして自らの裡に確認したひとかけらの真摯さとドラッカーの本を味方に、一人のマネージャーとして――それは真の意味のマネージャーとして――受験生のマネジメントへと立ち上がる。