今まで、誰も知らなかったことを解明したり、発見したりするとき、
それらは、「新しい知識」として、認証される手続きを経過すると、
「教科書」は、書き換えられる。

この仕事は、研究者の領域。

義務教育が典型ですが、「既存の知識」「教科書に書いてある知識」
を少しでも、多くの人に、普及させるという仕事。

この仕事が、幼稚園、小学校、中学校、高校の「先生」の仕事

前者は、ある特定の分野(例えば、民法学、例えば、量子力学)にだけ、
とことん、詳しいことが求められる。
そうでないと、その分野で、まだ発見・解明されていない領域を
見つけ出すことは出来ない。

後者は、未知の領域で何かを発見するという負担がない分だけ、
「作業」の要素が強くなる。
いつまでも、二次方程式を、教え続けることになる。

ブルーバックスという講談社のシリーズは、
前者に目配せをしながらも、基本的には、後者の役割を担っていると
思って、読んできた。
だが、しかし、すこし異様な、書物を発見。

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「教育」の手段として、自らの「発見」の過程を売り込もうとしているのだろうか。

要するに、
「物理学」で、何らかの業績を残そうと思ったら、
「数学」を真面目に勉強しないとアカンヨという、そういうことなのでは
ないかと思うのですが・・・。

行列 線形代数
微分方程式 確率

こんなところですか。

どうも、物理学の世界では、
方程式の解を求めるというフレーズで、感覚的イメージは
関数なのだなと、すこしずつ、合点がいく・・・。