イギリスか、スコットランドの龍伝説が登場する。
中国のドラゴンのイメージとはちがう、どちらかというと
Wormなんだんと。Dixonはそんなことをいう。
なんでも、十字軍の遠征からかえってきた人が
里帰りをしたら、ドラゴン伝説で郷里は大変なことになっており。
一番最初にみた生き物を神に捧げるという誓いをたてる。
龍と戦う。
どうも勝利をおさめたっぽい。ところが、自分の実の父親が
近くを経過したおかげで、父が最初のLivingThingになってしまい、
なんと、神に捧げる犠牲は父親かいということで、ジレンマに陥るも、どうにかこうにか、やりおおせる。
地球の内部は空っぽなのかどうかの論争っぽいシーンも出てくる。
細かいところは省略するけど。
AgainstTheDayという別の作品で、乗り物が地球を奥深く
突き進んで、反対側にでるみたいな、SFっぽいシーンがあった。
ドラゴン伝説もそう。
たしか、オーストリアか、ドイツか、そこら辺を、主要な登場人物が
列車かなにか、移動しているときに、奇妙な怪獣がでてきたみたいな。
「ガリレオ」シリーズで、「容疑者Xの献身」をみていると、
「キリンの翼」で、刑事が、「数学の定理をまちがって教えると、
生徒は何度も、同じ間違いを繰り返す。」
と、事件関係者に数学の先生にそれとなく、諭すところが、笑いどころになると。
新春座談会「今だから話せる平清盛」: 月刊クラシック音楽探偵事務所

A:それに、「平家物語」についての最低限の知識が無いと、付いて行くのが微妙に難しいというのもありますよね。
K:「祇園精舎の〜」とか「壇ノ浦」くらいは知っていると思いたいですけど。
吉松:それもあるかなあ。最初に信西が穴の中に落ちていたのも、彼が死ぬとき穴の中だったことの伏線ですし、北面の武士に居た佐藤義清(のりきよ)が後の西行であることを知らなければ話が分からない。強訴の場面で出てくる鬼若(青木崇高。後の弁慶)もそう。そういうことがあちこちにありましたよね。

A:それから、若い頃のやんちゃな清盛が海賊船の帆柱に吊されるのって、「宮本武蔵」で武蔵が千年杉に吊されるシーンのオマージュですよね。先のシェークスピアもそうですけど、そういう本歌取りみたいなこともあちこちでやってる。
K:ちなみに、そのあとで清盛が叫ぶ「オレは海賊王になる!」というセリフは、「ONE PIECE」のルフィのセリフですし(笑)
吉松:それをいちいち「今のは、こういう意味です」なんて馬鹿丁寧な解説はしないから、分からない人は分からないまま。

その22 ピンチョンのまなざし

ちょっと不思議なシーンが出てくる。
子供までつくったカップル。
彼らが、生まれた子供の取り合いをしているようだ。
そして、この男女の間の、子供をめぐる紛争に、裁判官らしい人も
絡んでくる。
どうも、カップルの片方が、子供を、相手から、奪ってしまったという
状態らしい。
それで、裁判官らしい人が、「窃盗」みたいな罪状を理由に
「令状」らしいものを書いたと。
その「令状」をもった「保安官」らしい人が
子供をとっていった女性のいる家に踏み込む。
そんな感じ。
そうすると、「子供は「モノ」ではないから、窃盗は成立しないので、その令状だって無効」
みたいな、話がでてくると。

なんだか、聞き慣れない登場人物が次々とでてくるので
どうも霧にかすんでしまうけど。
まあ、こういう記録もスケッチ的に書いていくの大事でしょうと。

http://www.themodernword.com/pynchon/levy_mason_and_dixon.pdf:M&Dのあらすじ

M&Dを一日3ページ読み進めて、読書記録をすこしずつ書きためたという人の
ReadingNotesがオンラインにあがっております。
あらすじがワケわかめになってきたら、これで振り返るのも一興かと。
このノートだけでも100ページ近くあるのですが。

風水講義 (文春新書)

風水講義 (文春新書)


話がずっと錯綜している。
印象にのこるエピソードをちらほらと。
古代中国の科学者DrZhangだったかな。
なぜか、M&Dがいる北米大陸に出現して、独特の方位磁石を
駆使しながら、どうも18世紀北米や欧州の情勢を「風水」の観点から
読み解いているような。
しかも、そこにその当時のヨーロッパの宗教上の知見まで
おりまざる。
そういうわけで、ちょっと風水のことをまとめて調べてみたいと
おもって、この新書を中古で購入。
中国の研究をしている人が、「禁じられた遊び」をしているような
気持ちで、こつこつと中国や韓国における風水のあり方を
どこぞの雑誌で連載しておったと。
どうしてそんなチャンスがまわってきたのかといったら、
筆者が研究に着手してから、いくらか時間がたって
世間のほうで「風水ブーム」が起きたからと。
なんでも「風水」とついたら、いろいろなグッズが売れるといったような
「風水バブル」があったのだと。
そういうブームがあるときは、よくあることだが、長年研究している
人にとってみると「トンでも」といったような言説が跋扈する。
そういう状態に嫌気がさして、本書は書かれた。
私はM&Dの読解を豊かにするために、購入しましたけど。
そういうわけで、風水の本家である中国の人や、韓国の人が執筆した
「風水のバイブル的テキスト」をベースにして
「風水ってそもそも何?」
という疑問に答えるということが、この本のテーマになっていると。
「風水」
直接的な用途としては、「ご先祖様のお墓の場所の選定」
これが、一番大きかったらしい。
本書の最後に書いてあったけど、韓国の田舎にいくと、
平らな土地にお墓がないことに、日本人としては、驚くのだそうな。
小高い、ぽこっとしたところに、いつも先祖が眠る墓石がある。
これは、風水という地形や天文の解釈の一手法から出される結論に
そってのことなのだと。
風は、地表を吹きます。
水は、私が本書を読んだ限りでは、「川」です。
東アジアの人が、自分の土地の特徴だったり、天空の星の配置や
星や惑星の運行を観測する。
そこで蓄積された事実に、いろいろなストーリーをつけたもの。
星の動きにせよ、いろいろな地形にせよ。
とにかく「パターン」というものがある。
そのパターンに、縁起がいいとか。縁起が悪いとか。ある特定の
行為をすることはまかりならんとか。
そういう「結論」「なんとなくロジカルに引き出されたっぽい規範」
のかたまりみたいなもの。
本書で、典拠になっているテキストは、科挙の試験勉強を中途で
あきらめた人が、中国の各地を巡り歩いて編纂したものだと。
こういう地形は、首都に向いているとか。
こういう地形は、家産を傾けるとか。
そういうものを、図鑑のように集積している。
そういうものの解説が延々と続きます。
このような東アジア生まれの、地形をめぐる「物語」を
18世紀の北米大陸の歴史物語に登場させるというところが
M&Dの面白い、不思議なところ。
いわゆる「科学的根拠」というものがあっての言説ではないので
別にどうってことないけど。
ゲゲゲの鬼太郎」を楽しむつもりで、風水の世界観にひたるというのは
一つのあり方ではないかと思う。
風水の見方にそって、「家をたてるのにおすすめの土地」という
売り込みが入ると、「ここに家をたてて、家族経営をすると、科挙の合格者が
たくさんでるよ!」というものが、本書の色々なところにでてくる。
本当に、科挙合格のご利益があるかどうかは、さておくとして、
家族が居住する家の住所を決めるという話になって、
科挙の記述が、よくセットで出てくるというのは、当時の中国人の
中で、科挙の受験勉強を取り巻く、「教育」「勉学」の存在感の大きさを
推測させる手がかりにはなる。
物語は、単なるフィクションだけど、そのフィクションに反応する人の
行動様式には、幾分かの事実が含まれる。
フィクションは物語の面白さ、鑑賞の仕方というのはそういうところに
あるのではないかなと。
この新書では、風水を説明するに際して、可能なかぎり、
多くの地形図というか、イラストが添付されています。
その地図や、地形図をじっくりながめながら、解説をフォローしていくと、
風水の本質がなんなのか。
ちょっとわかるような気がするかも。
こういうところに、筆者の心遣いはあるのだけれど、それでも
やはり、2次元、3次元のものをながめて、色々な結論や、ストーリーを
引き出してくるものを、新書で、文字主体で説明しようとするときの
無理のようなものは出てくる。
「砂」という字がある。
これは、日本人の、使い慣れた漢字の扱いでいくと、ちょっと誤解する。
どうも「山」という語感に近かったらしい。
そういう難点もある。
とはいえ、昔の中国人の、地理に対するイマジネーションは、面白い。
彼らは、昔から「ドラゴン」「龍」というものを、空想上の動物として
とても愛護していたとか。いまでもそうなのかな。
おそらく、現代中国の「生活様式」にも食い込んでいるところなんだろうと
思います。

574ページまでたどり着く。
単語もさることながら、またややこしい英語構文がこれでもかこれでもかと
登場するので、どんどんわけがわからなくなる。
どうも、StampActをめぐり、新大陸植民地の住民が
イギリス本国に対する反発を強めている模様。

日常の交易を進めるために不可欠な書類に、有料の印紙を貼る
必要があること嫌気がさすと。
それにたいするM&Dの対応がよくわかりません。
OxfordEnglishDictionaryは、Onlineで使おうとすると
有料になります。
Home : Oxford English Dictionary
世界で一番大きな辞書 −OEDを使ってみよう−

OEDの総収録語数は約62万語で,英語に限らず,あらゆる言語の辞書の中でも世界最大級の辞典です。
OEDの収録語数が多いといっても,最近では,「ランダムハウス英和大辞典」(約32万語収録)や,「リーダーズ英和辞典」と「リーダーズ・プラス」(合計で約45万語収録)のような大英和辞典が日本でも発売されており,収録語数だけで見ると,OEDに匹敵する辞書も少なからず出ています。
OEDは歴史的原理に基づいた編集になっていますので,言うまでもなく,昔の英文を読むときには重宝します。

Linguisticsとしての言語学を専門にしている人にはあまり縁がないでしょうが,文学を専攻している人や,歴史言語学のような,いわゆるphilologyを専門にしている人なら,現代英語以外で書かれた古い英文を読むこともよくあるでしょう。そのような場合,現代英語が中心の普通の辞書だけではうまく解釈できないということも起こります。というのは,通常の辞書は,実用本位の編集ですから,現在使われている語義が中心になっているということです。先ほどあげたniceの場合,OEDによれば,現在最も普通の語義である「素敵な」「良い」という意味は,1769年が初出になっています。ということは,もし18世紀以前に書かれた文献を読む際にniceという単語が出てきても,いつもの感覚で「良い」と解釈してしまうとおかしくなってしまうわけです。

英語達人塾 極めるための独習法指南 (中公新書)

英語達人塾 極めるための独習法指南 (中公新書)


英語の学習方法をかなり広い範囲に渡って、まとめた著作を読みました。
筆者は、東大の英語の先生。
M&Dという英語の富士山を踏破するために、色々な方面の専門家の力を借りて行くつもりで
読書してみましょう。そして作文の書き初めのつもりでこのエントリーを起こします。

本書の多読のコーナーで推薦されている本にkazuo Ishiguroの書物があったので
その映画作品を動画で抜粋。Remains of the day

教育とエンターテインメントは、仲良くなることが出来るかどうかというのは
とても古くさいテーマなのですが、その古典的なテーマに迫るある意味とってもクラシカルな
本になっています。
動画などを通じて、英語に挫折する人のよくあるケースとして、
どうも文法の学習でいやになってしまう人が多いと。
そこで転ばれたら、たしかに先に進もうにも進めない。
そういう人たちがたくさんいるので、だったら、単語がいくつかしかのっていない
「絵本」を英語でどんどん読んで行けば、英文法の勉強を経由しないで
一気に英語の力がつくはずだという人たちの流れも登場する。
最近、私はこの流れを意識して、英語教育の末席にいるつもりなのですが、どうも
これも、実際の生徒さんの学力の様子をみると、あやしい。
だったら、英短文を暗記させようと思うのだが、それもなかなか目に見える成果が
あるのかどうかは、すこし怪しい。
辞書の活用をどうするかというのは、つまり単語力をどうやって養成するのかということだけど、
これも、あまり王道らしいものはなさそうだね。
英単語のノートを作ろうとか、とにかくよくひこうとか。いろいろな教えがあるのですが、
そもそも本当に英語が嫌いな生徒さんは、辞書と友好関係を締結することに二の足を踏んでいる。
そこへ、いくら「辞書と友達になりなさい。」といったところで、文字通り、「効果のない念仏」に
なるでしょう。
個人的な経験によると、中学英語の教科書の本文に該当するところをしっかりと
暗記していると、学校の定期テストの得点などものびて、苦手意識が解消したような気がするのです。
これも、やってみたけど、目の前にいる生徒に確実に実行させようとするためのエネルギーと
自分が、どんどん色々なテキストを暗唱するために必要なエネルギーは質も量も異なるような
気がします。
筆者は、おそらく学習者としては、学部生、院生を想定しています。
それなりのレベルの英語力がすでに整っている上で、さらなるレベルアップをめざそうというのが
本書の狙いなのかなと。そんな気がします。


目次
第1章 入塾心得
いわゆるコミュニケーション能力重視の英語教育。「話ができることが大事」
この系統に属する英語教育の流れに対する異議申し立て。
「会話力」大事にする先生の系譜もある程度、見て来ているので、本書の筆者の
ように、受験英語的な鍛錬バリバリというところにはまだ全面的には賛成できない。

第2章 音読
これも、生徒さんにやらせますけど、果たして、授業時間から外れたところでどれだけ
実践されているのかは、疑問です。

第3章 素読
意味がわかっても、わからなくてもいいから、とにかく「読め!」

もとより寺子屋に通う子供たちが最初から「論語」などを読み解けるはずもない。ただ何度も何度も漢文を読んでいるうちにそのリズムを身につけ、やがて内容を少しずつ理解していくこになる。

第4章 文法解析 齋藤秀三郎
41ページ

とくに注目すべき著作としては、品詞に即て英文法を解説した「実用英文典」がある。齋藤の死後に出版された1064ページもの分厚い合本がいま手元にあるが、その質の高さに驚くばかりである。母語話者でも知らないと思われる文法事項が詳述されており、普通の学者ではこれをまとめるだけでも生涯の大仕事だろう。齋藤は、この大著によって日本における学校英文法の基礎を築いたと言われている。

この「実用英文典」現在、アマゾンにて数万円という値段がついている古書となっています。

第5章 辞書活用法
「研究社新英和大辞典」について

2002年の3月、僕にとって特別な意味を持っている辞書の新盤が出た。「研究社新英和大辞典」第6版である。初犯は1927年(昭和2)に出版された。当時の編集主幹は岡倉由三郎だが、補佐を務めていたのはほかならぬ英語辞書の偉人・岩崎民平(下段参照)である。「岡倉英和」と呼ばれたこの辞書について、英文学者・福原麟太郎は、恩師の岡倉のことには触れず、岩崎が中心となってまとめたので信用できると書いた。辞書編纂者として絶大な信頼を得ていた岩崎は、その後、第3版と第4版の編集主幹を務めた。

M&Dを翻訳した人のあとがきをみていると、結構いろいろな種類の辞書を参照しながら日本語に
置き換えて行った形跡を推測させます。
そういうわけで、英語の学習ということで文献を読んでいるときも、「辞書」についての言及。
お勧めの辞書のリストについても知りたい。辞書の編纂をしている人のことが知りたい。
そういう観点から、みています。この前のエントリーもそういう観点が重心をもっていました。
やはり、「研究社」できまりのようです。
多読という形である程度、まとまった量の英文を読んでいると、たしかに、
辞書というものがもっている重みが違って来る。多読して初めて、そういう心境になったような
気がする。特に、M&Dレベルになると、辞書が解答を出してくれないということもある。
こういう限界領域のほうが、いろいろな問題意識を生むのではないかと思いました。
M&Dの帯をみたら、翻訳に10年かかったと書いてあったけど、あれは本当なのだろうかと。
いまでも思う。

第6章 暗唱

卓越した英語力を駆使して駐米大使、外務大臣、さらに内閣総理大臣の重責をこなした幣原喜重郎は若い頃イギリスで師事した英語の先生に暗唱を仕込まれていた。幣原は、先生が命じるままに毎日3、4ページの英文を覚え、先生の前で暗唱・復習をしたという。

デイビッド・ロッジという元英文学教授、小説家をお勧めしていた。
こういってところは、好みなんだろうなと思います。
外務省と英語というのも、一つの大事なリンクだなと。
日本政府が、外国の政府と関係を持つときのエージェント。
話が大きくなるけど、そもそも日本人がどうして英語の勉強に迫られるのかという根源的な
問題設定をしたら、おそらくそれは、「ペリー来航」にまで起源がたどれるだろうから。
大事なことは、投票できめようというのが、民主制のルールですが、
その国にとってのっぴきならない重大事が、いつだって国の中から内発的におこるとは限らない。
多くの人が、関心をもたないようなところで、列島全体に関わる大きな問題が生起することだって
ある。そうすると、ある程度、民主制の外枠で、その問題に対処する必要だってあったと思います。
「外国語屋」の職分というのはどうもそういうところにあったのかなと。
ビジネスで、大事なのは、「お客をつかむこと。」ということですが、
これを、広く、どういう人と関係をもっていくのかという問題意識に置き換えると、
「外国人」というのは一つの選択肢でしょう。
違う世界の人と、交流をもつことで、得られることというのは、時に、本人の想像の枠外に
なるだろうから。いい意味でも悪い意味でも。
この幣原という人は、戦前、どちらかというと、アメリカと仲良くして、日本の進路を
守って行こうという路線をとっていたらしい。
吉田茂は、彼が外務大臣だったときの次官だそうです。
外務省出身で有力な政治家になっている人というのは、最近は誰なんだろう。
どうもこの幣原という人をみると、戦前のほうが、外国とどういう関係をもつのかという
ことが、切実な意識をもって、政界が動いていたのかなと。
政治の世界で、どういうスキルをもった人が上昇していったのかどいうのは、
そのとき、そのときの国の実情や、差し迫った問題がどういうものだったのかを知る上で
結構大事かもしれない。
もっとも、外国とほど遠いところで、英語教育をしている立場としては、なんとも
虚しい、空理空論ですが。

第7章 多読
Readingの試験があります。設問は2つ。
長文の内容はいわないほうがいいのかな。それにしても設問がすくない。これで、読解力を把握される
ことにすこし納得がいかない。
最近、一番、元気がよくなってきているのは、この学習分野なのかなと。
外国の書物へのアクセス。外国語で書かれた論文へのアクセスをどうやって下げて行くのか。
「もの」へのアクセスにかかるコストは限界まで引き下げられていると思います。
Kindleの登場で一目瞭然でしょうと。
そう。ここでも重要になってくるのは、さしあたって、特効薬など存在しない
「読み手」の数なのだろうなと。英語の絵本やら、ペーパバックやら「自炊本」のデータを
みていて、感慨があります。
「抱負」には入れませんでしたけど、今年もできるだけ色々なジャンルの英語本に触れるように
したい。翻訳本をどう活用するのか。日本人が書いた本のフォローをどうやってするのか。
色々な問題がありますけど。引き続き、英語と仲良くやっていきたい。


第8章 丸暗記

暗記と暗唱とはだいぶ目的を事にしている。暗唱が音読・素読の延長として、いい文章の調子を身体に刻み込むためのものである。必然的に、暗唱同様、同じものを何度も繰り返して読むことになるが、こちらは文法の解説文まで音読する必要はなく、また一言一句原文通りに覚える必要もない。あくまで、性格な情報が脳に練り込まれさえすればよいのである。

第9章 作文

文学的創作は、母語であっても難しい。ましてや外国語で文学作品が作り出せるようなら、すでにその外国語は完全に習得したと考えていいだろう。

英語の作法

英語の作法


この本には、英語で小説を書くノウハウが書かれているそうな。

第10章 視聴覚教材活用法
第11章 その他の独習法
第12章 英語教材の選び方

「ピンチョンのまなざし」その18

ネイティブ・アメリカン―先住民社会の現在 (岩波新書)

ネイティブ・アメリカン―先住民社会の現在 (岩波新書)


M&Dの時代設定は、ちょうどイギリスやフランス、オランダからの入植者が、「新大陸発見」以来
地盤を固めて来ています。なお、西部のほうでは、ネイティブ・アメリカンとの抗争が継続。
不動産や交易の利権をめぐって、本国の王様まで絡んで、ややこしいドタバタが起きている。
いまのところ、正面切って、ネイティブ・アメリカンが登場することはないが、物語の重要な
背景にはなっていると思います。本エントリーでは、彼らを取り上げたいです。

Dance with Wolfs
この映画は、従来の多数派アメリカ人がもっていた「ステレオタイプな先住民」の
イメージに対する「ある程度」の健全なカウンターパンチになっていたと。
私が、幼年期の時、そんなこと意識していなかった映画です。
ただ、映像がよかったなと。今度は、ちょっと違う角度で鑑賞したいな。

イロコイ族とか。ジョン・スミスとポカホンタスの悲恋物語っぽいものや。
以前のエントリーでもディズニーのアニメーション映画を取り上げたりしています。
本書では、「ステレオタイプ」の典型は「駅馬車」だったと。

これまでの取り上げ方では、あくまでもイギリスの東インド会社のような交易会社が
世界展開を始めて行く中での「一翼」という扱いで、アメリカの当時の歴史について扱っていました。
今度は、インディアンを正面から扱ったいい本を探していたところ、本書を発見。
最初はイギリスの近代史を取り上げた新書を購入しようかと思ったのですが、ほとんど偶然
手に取ったこの本を選びました。
「本を執筆するにあたって、たくさんの手間暇をかけて、しっかり読書研究を積んでいるかどうか?」

これは「参考文献」をみると、分かる。
なんと、ほとんどの文献が、英語文献。少なくとも、大量の英語を読む力量はあるのねと。

「本を執筆するにあたって、本が扱うテーマの当事者になっている人から、話を聞いているかどうか?」

これは評価の別れるところだろうけど、これだけ、現代政治のど真ん中にあたるテーマを扱うとなると
大事なポイントになるのではないかと思う。
筆者はここでも、希有なのではないかと思うくらい、NAの人たちと日頃から綿密な連絡をとり、
関係を気づき上げてきた節がある。

「扱っているテーマに関連している人たちは何者か?または、扱っているテーマに関連している団体は何者か?」
これも、思いっきり、人によって価値観が別れるところかもしれないけど。そもそも
「では、人をどうやって判断するのか?」
「団体の当否をどうやって判断するのか?」
いろいろ出てきます。
「資本論」という書物の書評を見ていたら、「財務省」の職員が出てきたとか。
大江けん三郎という人の小説の書評をちらっと見たら東大教授が出てきたとか。
英語の教科書には、先住民を取り扱ったトピックが多いとか。
ということは、取り上げている話題には、文部科学省の合意が存在しているのかとか。
だとしたら、話題としてあまりにも煮詰まっていて、新規性がないから、「研究」に値はしないのかどうかとか。
とにかく、「乱読」も大事だけど、「全部」読むという、深い関連性に突入する前に、なるべく「無駄撃ち」を減らすには
どうすればいいのかを考える。
どんな人のブログで紹介されている書籍なのかどうかも、結構大事なポイント。
ただ、いま述べたことは、本を「選別」するプロセス。
ということは、偶然ひっかかる「掘り出し物」に出会える可能性が減って行く。
絞り込むと、新規なものは拾えない。
乱読に近づくと、時間のコストがバカにできない。


まずは、筆者のプロフィール

鎌田 遵
1972年生まれ
カリフォルニア大学バークレー校 ネイティブ・アメリカン学部卒業。
同大学大学院ロサンゼルス校アメリカン・インディアン学部修士課程修了。
同大学院公共政策・社会調査研究所都市計画学部博士課程修了。(都市計画学Ph.D)
現在 複数の大学にて非常勤講師
専門 アメリカ研究 アメリカ先住民研究。都市計画学

筆者の出身学部がユニークだなと。こんな学部あったんかいなと。
日本列島に住んでいるネイティブ・アメリカンはおそらくあまりいないだろうから。
どういう来歴があって、この学部を選択したんだろうって。
しかも、博士課程までとっている。ここで読者として引かれるのは、要素と要素の組み合わせ。
こういっては、語弊があるかもしれないけど、きっとネイティブ・アメリカンの境遇がまともな
ものではないだろうということに関しては、実は新味があるとはいえないかもしれない。
ところが、筆者の研究領域は「都市計画」。偶然にもMrYamagataと一緒。
「都市計画」が何をやる研究領域なのは知らないけれど、おそらく、「まともな都市環境を
構築するためにはどうすればいいのか?」ということを考えているのだろう。
そういう研究領域と、先住民の問題がリンクするというところに引かれた。
どのように繋がってくるのかということは、本書におまかせ。
まあ、平たくいうと、都市である以上、個人と個人、個人と政府の間で土地の所有権の分配を
どのように設定するのかということが避けて通れない。
じゃあ、ネイティブ・アメリカンの土地所有権はどうするのかと。
彼らには、彼らの歴史や伝統、文化、社会的ルールがあるのだと。
白人の人たちとは、違う統治原理で社会をまわしたいのだということになると、
彼らは、「州政府」や「連邦政府」からは独立した形の「部族政府」を作りたいということになる。
では、その「部族政府」の中身は法律的にどういう位置づけになるのかと。
アメリカの政治の歴史でよく取り上げられるのは、「連邦政府」と「州政府」の間の権限の分配。
こういったリーガルな問題が大好きな国民性ということで。
NAと連邦・州政府との間の駆け引きも、当然のごとく、法的な形をとって勧められます。ううせk
一つの社会に、いろいろな人がいたほうがいいのか、それとも、バラバラな人がおしくらまんじゅうで
いるほうがいいのか。前者をとると、「同化政策」という形をとり、後者をとると、色々なコミュニティに
「自治」を認めるということになる。
でも、対立の軸はそれでは終わらない。
「旧世界」から渡って来た白人の中にも、「富める」白人と、「貧しい」白人の対立があったように、
NAとNAの間にも、部族政府のあり方や、部族・連邦政府間の交渉のあり方、貧富の格差を巡って
対立が存在しているのが、活写されている。

目次
はじめにー最底辺の民たち
地図・年表
第1章 ネイティブ・アメリカンとは誰か
1−1 移民の国の先住民
1−2 部族員とは誰か
第2章 先住民の国家
2−1 他民族社会のなかの「部族」
2−2 ネイティブ・アメリカー先住民の大地
2−3 つくられた部族
2−4 連邦政府の承認
第3章 追われゆく先住民
3−1 国家建設への貢献
3−2 「良いインディアン」になるために
3−3 切り刻まれた大地
第4章 民族自決への美智
4−1 部族改革の裏側で
4−2 「アメリカ人」になるために
4−3 自決をもとめる動き
第5章 つくられる先住民像
5−1 野蛮から英雄へ
5−2 塗り替えられた過去
5−3 外見だけの先住民
5−4 誰にとっての先住民文化か?
第6章 負の再生産
6−1 貧困の暮らしの中で
6−2 現実逃避の果てに
6−3 「辺境」の人々
第7章 「辺境」からの挑戦
7−1 核と先住民
7−2 起死回生の生き残り策
7−3 先住民社会の格差
7−4 「辺境」からの挑戦
おわりにー先住民の声
あとがき
おもな参考文献

2006年12月、フロリダ州のセミノール族は、イギリスのランク・グループから、ハード・ロック・カフェの事業を買収した。買収額は9億6500万ドル。人口3300人の部族による事業としては巨大である。この買収は東京の六本木にも店舗をもつハード・ロック・カフェの経営が、セミノール族の事業傘下に入ったことを意味している。

思いもしなかった結びつき。飲食・カフェ・カジノ。広い意味でのエンターテインメント事業に、実は先住民の人たちがいた。
生活基盤を確立するために、事業をやろうという、私からみると堅実な動きがあったと。

部族がカジノであげる利益は、年々増加の一途をたどっている。全米インディアン賭博評議会の報告によると、部族が所有するカジノの総収入は、1988年は2億1200万ドルだったが、2002年んは147億ドルに激増し、米国全体の賭博産業総収入の21%に相当するまでになった。

「迷惑施設の誘致」

べつの迷惑施設受け入れの礼では、カリフォルニア州南部のカンポ・インディアン居留地がある。ここもまた、大都市から離れたところにあるため産業に恵まれず、雇用促進と経済の活性化を目当てに、産業廃棄物貯蔵施設の受け入れに合意した部族だ。周辺にすむ白人コミュニティは強硬に反対し、部族は地域社会の中でさらに孤立する結果を招いた。
環境問題の専門家であるダン・マクガハンによると、1987年のカンポ族の失業率は79%、仕事についている半数以上が、7000ドル以下の収入しか得ていなかった。さらに部族政府の予算は鉱山と牧場に賃貸料からL1万5000ドルに限られていた。しかし、産業廃棄物処分場を建設した1993年には、部族の収入が70万ドルに笛、部族員の失業率は30%に減少した。

本書を白眉にするかどうかの選別のポイントには、
「共感」「そうだよな」「わかるわかる」と思えるかどうか。
ここも生々しい話だけど、3.11以降こういったヤバめの施設をどこに設置するのかということも、実施された選挙の
重要なポイントになってきました。
どうも、あっさりと看過するには気持ちの悪い、アメリカの一つの一面が、わかるのではないかと思います。
私は、このブログでは、あえて、こういった側面をとりあげていません。
どちらかというと、「なぜ、アメリカの経済力や軍事力が圧倒的なのか?」という問題について
主に、教育の側面から、自分なりの解答を作り上げたいという問題意識もあります。
そう、このブログで取り上げる以上、私が自ら関与している「教育」にも関連しているかどうかは見ます。
先住民が、スムーズにアメリカ社会で通用するかどうかというのは、それも
ひとえに、彼らがまともな学歴を得ているかどうかという問題にリンクしています。
こういうことも、むしろ、日本社会よりも、外国のほうがあからさまにわかるということがあるのかなと。
あえて、引用するテキストは設定しませんが。

いずれにせよ、しばらく時間をおいて、まとまった形で本書を紹介しました。
「一押し」です。

ピンチョンのまなざし その17 かつ2013年抱負

あけましておめでとうございます。
今年も、このブログ共々、よろしくお願いいたします。
去年につづき、実家で過ごしています。
2012年の抱負が、昨年のエントリーのトップバッターでしたので、
はたして、その抱負の内容がどこまで具体的にカバーできたのかを
検証しようと思います。
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本当は、年の瀬にやるのが適当だったのかもしれませんが。
今年の抱負を作り上げるのに、去年の実績を勘案するという形式のほうが
望ましいかなと思ったので、今の時期になりました。
新年の抱負 - book-loverの日記

「主」になるのは、大学受験のための「理系数学」「物理」「化学」の学習なのかな。

その中でも、「主」になるものは、

「受験数学の理論」問題集を、未刊行のもの(数学?微積分 初頭関数)をのぞいたすべての問題を

「暗記数学」するというもの。基本的な「解き方」を徹底的に記憶して、少しでも、数学の弱さを

克服していきたい。

受験数学の理論を、全部やり終えるというプロジェクトは、無事、去年の9月に
達成しました。
いま現在市販されているシリーズで、目を通していないものはありません。
これで、大学受験数学の一通りの解法暗記を実行するという目的は
達成しました。

「従」にあたるのは、物理と化学になるのかな。北大医学部に合格した人の合格体験記を読んでいたら、

4年間かかった受験準備のうちの大半は、数学で消えたというから。

「受験数学の理論」で「足りない」部分は別の問題集で補うことにする。

そして、問題演習の「解法暗記」が終了したところで「東京大学理系数学」の過去の入試問題の

研究をしたい。

1月と2月を使って 数と式

3月 数列 漸化式

4月 確率

5月 図形と式

6月 残りの分野を違う問題集で演習する。

7月 8月 9月で東京大学理系数学の過去の入試問題を徹底的に分析する。

別の問題集は、駿台と旺文社の参考書でカバーしました。
この年間スケジュールの達成度合いといいますと、ほぼ3ヶ月のずれがありました。
東京大学理系数学の過去問分析40年分は9月から12月にかけて行いました。
残った10年は、1月中に終えたいと思います。

12月のどこかで、センター試験の過去の入試問題を受けてみる。

9割を目指す。

11月の東京大学の入学試験の模擬試験を受けたい。

「数学」と「英語」で65点と英語では90点以上をとりたい。

この二つの目標を達成できたら2013年に向けて、なんとか頑張れるような気がする。

あとは、この期日がやってくるまで、学習を気長に続けることができるかどうかだと思う。

正直、数学3Cを終わらせて、12月の半ばから1月の正月休みまで脱力してみたけど、

かなり疲弊していたのではないかと思った。

働きながら、勉強を積み重ねるというのは甘い話なのではないのだなと思った。

だからこそ、テキストに向き合い、ノートに書き込むことができるということは素晴らしいことなのだと

心の底から納得できる。

これは達成できませんでした。
これから最新の10年分の東京大学の理系数学に取り組んで、どれくらい
得点できるか検証する。
理系微積分は、もう一度、復習して、記憶を戻さないといけないかなと
思う今日この頃。結局、去年は、模擬試験を受ける事は叶わず。
そういうわけで、今年こそはなんとかできないだろうかと。

出来る限り、実現可能性を考慮して低めに設定しようと。
2012年は、意識的に細かく設定して、どれくらい達成したか確認しましたので。
その経験もふまえて。
去年と違って、数学の山がもう終わっているというのは自分の中では安心材料

東京大学 理系数学 10年分 (1月中!)
年内。 京都大学大阪大学の理系数学 50年分を解く。(5月一杯。)
センター試験数学の過去問を20年分は解きたい。
そのとき、センター試験数学対策の問題集を2、3冊は完成させたい。
(センター対策2ヶ月)

大学受験物理と化学
問題集をやりこんで、東大理系の過去問を25年分解くことを目指す。
目標得点は、60点中、50点。
こちらは、数学の進捗によって、いつ頃から、スタートするかを決める。
気分的には、物理と化学の目標を「主」にしたほうがいいのかなと。
思うこともある。なぜなら、もう数学は、相当やったから。穴ないはずだし。
もちろん、埋めるところはあるけど。まっさらな所はない。(1909文字)

さて、ここからは、ピンチョンのM&Dの話に唐突に戻ります。
年末の帰省の移動中の時間を使って、ピンチョン関連の書籍を読む。

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)

英語の歴史―過去から未来への物語 (中公新書)


M&Dの「特異性」の一つに、「擬古文」というスタイルが取られていることが
あります。
現代の作家は、わざわざ18世紀後半から19世紀にかけてアメリカで
使用されていたと思われる「古風な」英語を用いて、書かれているのです。
すぐに、読んで、わかるのは、英語の名詞が、ほぼ例外なく「大文字」で
書かれているというところになど、特徴が出てきます。
Youのことを「Thou」という書き方をしています。
これも、「近代英語」といわれているスタイルのようです。
本書では、英文学の研究をしている先生が、英語の起源を、それこそ、昔の
イギリスの歴史にまでさかのぼって、たどって行きます。
イギリスは、島国だからといって、欧州大陸の影響から無縁で発展してきた
わけではないと。
ノルマン人という、北欧の人が、イギリスの征服者になったこともあったし。
フランスに広大な所領をもっている貴族が、有力者になったという経緯もあった。
一時期、イギリスの王侯貴族は、公式の場では、みんなフランス語だったことも
ある。そうなると、英語の語彙の中に、多量のフランス語起源の単語が流入する。
そして、「学問の殿堂」となってきた教会で、神様の研究をしている人は
ラテン語を使う。そうすると、ラテン語が起源の言葉もたくさん流入する。
イタリアでルネサンスが起きたら、イギリス人の読書好きもそれに習って
ギリシャ・ローマの古典テキストを読む。
そういうわけで、現代の英語の語彙の「ご先祖様」をたどって行くと、
色々なルーツが確認できる。分かる人は、単語の形を見るだけで、
どういう「系譜」だったのかわかるみたいなことが書かれています。
本書で、よく登場していたのは、シェークスピアの英語です。
ロミオとジュリエット」で、有名な、ロミオの告白の場面などを
原文で読んでみましょうと。
わざわざ、ここで、引用したりはしませんが。
やはり、16世紀の英語ということで、現代とは、またかなり勝手が
違います。
チョーサーという作家の英語も出て来るけど、こうなってくると、
「英語の痕跡はどこやねん?」みたいな感じです。
M&Dの舞台の時代は、ちょうど、英語の母国たるイギリスが、世界に打って出るという
時期だったので、それに伴って、英語が被る変化も、起源がグローバルな
ものになる先駆けをなしていたと。
そんなことも書かれています。
英語のテキストの研究者の人からすると、どの時代に、どのような英語が
使用されてきたのかというのも、一つの重要なトピックのようです。
M&Dの筆者は、どうやって、こういう「スタイル」で、800ページ近くの
筆記が出来るようになったのだろうかと思う。
それと、辞書のことも書いてあって。
OxfordEnglishDictionary
やはり、これは大事なようです。
とにかく、今までの英語の歴史の中で、流通した単語については、
すべて記録を取るという、頭の下がるような志をもって、編纂されている。
だから、「ある年代まで、使用されていたけど、この年代になってから
使われなくなった。」みたいな、マニアックな記載も探せると。
通常の現代英語のテキストに向き合っている分には、そんなことが気になることは
あまりないと思いますけど、ことM&Dになると、話が違ってきます。
現行の辞書で手に負えない単語が出て来たら、「最終兵器」としてOEDに頼んで、
単語の意味を確定する必要があるのかなと。
辞書の話に関連して、グリム童話のことも出てきた。
別に新しいことでもなんでもないけど、グリム兄弟は、別に「作家」だったのでは
なく、「言語学者」だったんだなと。
ドイツ語の辞書を、コツコツと作って行くような地道な作業がまず「生業」として
あり、(たしか、語形に関する法則などに、グリムの名前が付けられていた。昆虫を発見したら、発見した人の名前がつくみたいな、あの感じ。)
その「余儀」として、色々な人の伝承を聞いているうちに、
グリム童話が「結果的」に出来上がる。
英語の辞書を編纂している人たちの歴史も、びっくり仰天の緻密さ。
そして、それに次いで、ドイツ人も、ドイツ語の記録を編纂していくというて所では、
負けてはいない。
学生の時は、こういうことが気になることはないけど。
実際に、英語を教えるという立場になってみると、こういうところも気になる。
そんなことより、過去問やろうぜって話ですが。
というわけで、帰省した実家で、学生時代に買ったまま、放置していた
ドイツ語の読解テキストを発見した。
独文解釈の研究

独文解釈の研究


ノートと鉛筆を使ってはいないけど、一通りの目を通しました。
「文学的」「哲学的」な「構文的」に「複雑」な例文が120問の例題に
なっています。
最後に、練習問題18問。
これがまたしんどい。一つ一つの例題も、しっかり練り込まれた例文が
採用されています。
語注はくわしい。基礎的なドイツ語の力があれば、例文の下に一覧が
ある語注をざっとみたら、辞書がなくても、問題に取り組めます。
この問題集をつくった本人が、
「単語はわかるけど、ドイツ語で文の全体がつかみにくい。」
という問題を、あつめて、盲点をどんどん突くように、作ったと
ていねいな文面で書いています。
たしかに、受験英語的な、しんどさが、120問の例題のところどころに
ちりばめられています。
学生時代のから、今にいたるまでのブランクがどれくらいあるかを測定
するのに、いいのではないでしょうか。(4298文字)