M&D 509Page(拙訳)(2952文字)
ここまで来ました。タイミングがあってしまった。
この時期に、小説の中でもクリスマスを迎えています。そういうわけで
折角なので、記念の意味も含めて、和訳。
皆様。メリークリスマス!

They discharge the Hands and leave off for the Winter. At Christmastide, the Tavern down the Road from Harlands' opens its doors, and soon ev'rywhere.
彼らは、手を休めて、冬に備えた。ハーランド家沿いの道路から下った所に
ある居酒屋が、戸を開けている。至る所が、クリスマスの賑わいを見せている。
The Surveyors,knowing this year they'll soon again be heading off in different Directions into America, stand nodding at each other across a punch-bowl as big as a Bathing-Tub.
測量士たちは、年内に、アメリカにて、違う方角へ向けて出発することに
なる予定であるのを十分に承知していた。彼らは、まるで、浴槽のような大きさの
フルーツパンチのボール越しに、立ったまま、お互い頷きあっている。

The Punch is a secret Receipt of the Landlord,including but not limited to peach brandy,locally distill'd Whiskey, and milk. A raft of long Icicles broken from the Eaves floats upon the pale contents of the great rustick Monteith.Everyones's been exchanging gifts.Somewhere in the coming and going one of the Children is learning to play a metal whistle.Best gowns rustle along the board walls.
パンチは、居酒屋の店主のとっておきのレシピによって作られたものだった。桃のブランデー、地元で蒸留されたウィスキー、そしてミルクなどが、入っている。
軒先から、折れた長いつららが、すばらしくかつ純朴なパンチのいれものの水面で青白く、浮いている。みなみなが、プレゼントを交換している。
どこからともなくやってきた、一人の子供は、金属のホイッスルの奏でる方法を身につけようとしている。板の壁にそって、上質な丈長のドレスがサラサラと音を立てている。
Adults hold Babies aloft,exclaiming"The little Sausage!' and pretending to eat them.There are popp'd Corn,green Tomato Mince Pies,pickl'd Oysters,Chestnut Soup, and Kindney Pudding.Mason gives Dixon a Hat,with a metallick Aqua Feather,which Dixon is wearing.Dixon gives Mason a Claret Jug of silver,crafted in Philadelphia.
大人たちは、赤子を高く持ち上げる。「小さなソーセージ!」と声をあげて、そのソーセージを食べるふりをする。ポップコーンや、グリーントマト添え薄切り肉のパイ、生牡蠣の酢漬け、トチの実のスープ、キドニーパイがある。
メイソンはディクソンに、青い鳥の羽がついた帽子を贈る。すでにディクソンはそういう羽を衣服につけていた。ディクソンは、フィラデルフィア産の銀製水差しをメイソンにプレゼントした。

There are Conestoga Cigars for Mr.Harland and a Length of Contraband Osnabrigs for Mrs.H.
The Children get Sweets from a Philadelphia English-shop, both adults being drawn into prolong'd Negotiations with their Juniors, as to who shall have which of. Mrs.Harland comes over to embrace both Surveyors at once."Thanks for simmering down this Year. I know it ain't easy."
"What a year,Lass," sighs Dixon.
"Poh.Like eating a Bun,"declares Mason.
ハーランド氏には、コネストーガの葉巻が、そしてハーランド夫人には、禁制品のオスナブルクの布ひとまとまりが、用意されていた。
子供たちは、フィラデルフィアのイギリス雑貨店から、お菓子を手に入れる。
大人双方は、子供たちの、長々とした交渉に巻き込まれる。その交渉事項は、誰が、何をものにするのかということ。
ハーランド夫人がやってきて、測量士たち二名を、一度に抱きしめる。
「今年は、事を沈静してくれてありがとう。それは、簡単ではなかったでしょ。」
「なんて年だ。あの女と来たら。」ディクソンはため息をつく。
「わお。まるでBunを食わされているようなものだ。」メイソンは断じる。

クリスマスの雰囲気はわかるけど。
ハーランド夫人とM&Dの間の前後のやりとりは読解できていないような
気がします。どうも、二人はハーランド夫人のことよく思っていないのだな
ということがわかるくらい。
なんか、霞がかかったような感じで、物語をおっています。
こうして、ある程度、単語を調べて、実際に「逐語訳」をやってみると、
「通読」しているときは、かなりいい加減に読み流しをいているのだなと。
痛感しました。単語を、一つ一つ調べる手間暇とか。これ全部、おろそかに
しないで、正確に日本語にしていくとなると、気が遠くなる。
翻訳をプロでやっている人は、こういう一つ一つの調べ物を
コツコツやっているのか。
たとえば、今回は、クリスマスディナーになる料理が出てきたと。
残念ながら、あまり実感がないので、結局献立、一つ一つをGoogle先生
問い合わせをすることになる。
ただでさえ、やりづらい英語なのに。
なんとか、イブの日に、このエントリーを挙げることができてよかった
ということにしましょう。
7割弱を読み終えた・・・。
ユダヤ教にまつわるパロディとか。
聖書の外伝みたいな説話とか。
数秘術なども登場。風水なども、第1部で登場しました。
占いに関係するような話題もおおい。
できれば、M&Dが、物語の中で、どういう移動経路をたどったのかが
みたい。
土地勘がないので、地名がたくさんでてきても、方向感覚の
ようなものがつかめない。
GoogleMapの出番かな。

聖なる王権ブルボン家 (講談社選書メチエ)

聖なる王権ブルボン家 (講談社選書メチエ)


18世紀のフランスの政治の歴史をざっと眺める本を読みました。
M&Dでは、MechanikalDuckという、不思議なDuckが出てきます。
たしか、フランス人による発明。パリに住んでいた人物が
色々ないきさつを経て、新世界アメリカに流れ着く。そんなエピソードも
挿入されています。本書は、M&D時代のフランスの歴史を概観するための
ものです。

本書の要約は「あとがき」

初代ブルボン王アンリ4世はフランス国民の統一、国土の復興、王権の強化に努め、絶対王政の基礎を築く。そのあと、ルイ13世は宰相リンシュリューに助けられながら、王権に対抗する勢力を次々と屈服させ、中央集権化を進めて、絶対王政の実現に大きく近づく。続くルイ14世の治世は、絶対王政の絶頂期で、ベルサイユ宮はまさしく、そのシンボルといってよい。ルイ14世はフランスの領土を拡張し、孫のために、スペインの王位を手中に収める。ところが、ルイ14世の没後、流れが変わり、王権が弱体化していく。国民が繁栄と平和を享受する中、国王は権威を失い、敬愛畏怖の対象であることをやめる。フランス革命を待つまでもなく、絶対王政はすでに瀕死の状態にあった。

M&Dの時代は、ちょうど、ルイ15世ルイ16世
どちらも、この本でしっかり説明がされています。M&Dのほうでも
たしか、ポンパデゥール夫人はWikiで出てきたはずです。
けれども、この本の政治史の記述で一番、面白いのはおそらくアンリ4世なのかも
しれません。面白いというのも、不謹慎ですが。
なにせ、最後はカトリック系の暗殺者に命を奪われますから。
なんといっても、このアンリ4世がブルボン王朝というものを、
その前のバロワ王朝になりかわって、創設するというところ。
そして、アンリ4世が、終生悩まされることになる、
カトリックとプロテスタントの対立というのも、彼の時代に一番、
すさまじい争いを生みます。王位継承に絡んで、3つの王家(日本史でいったら、近衛とか、藤原とかが、骨肉を争うみたいな。)
が、カトリック系とプロテスタント系にわかれて、いがみあう。
たしか、アンリ4世は、まずプロテスタント。なりゆきでカトリックにもどり。
ほとぼりがさめてから、またプロテスタントにもどったと思ったら、
それでは、王様になって、フランスの政治権力者と仲良くできないということで
「心の問題」を「便宜的に」とらえて、またカトリックへ。
「ナントの勅令」という形で、プロテスタントを、フランスの多数派のカトリックがいじめないように取りはからう。
アンリ4世が、命をかけて気づいたブルボン王朝のその後は、もちろん
内乱やら、最後は革命などが勃発しますが、基本的には、「王家」の中の
確執が、政治を動かす。そうすると、どうしても、「内輪もめ」がクローズアップされて、延々と、足の引っ張り合いを眺めるみたいな部分も出てくる。
外国との戦争も出てきますが、これは、あくまで外国ですから、フランスの
考察とはまた次元が違う問題だと思います。
64ページ

8歳半にして国王ルイ13世となった少年はどのように育てられ、どのような性格の持ち主となるのか。いかに国王といえども、後の世になって、遠い幼い日々の様子を克明に復元するのは難しい。しかしルイ13世の場合、この点では例外中の例外といってよいだろう。出生時から20代の中頃までのルイ13世について、発育、成長、健康状態を克明に知ることができる日誌が、彼の主治医により毎日綴られていたのである。父王が暗殺された日やその翌日の、ルイ少年の食事の内容をはじめ、その行動をここに詳細に語ることができたのも、この主治医のおかげである。
(中略)
モングラ婦人と称する養育係の女性がしつけを行い、文字の読み方を教え、道徳、宗教教育を施している。
(中略)
養育係も女性から男性にかわる。男性の家庭教師についてラテンの古典、数学、それに帝王学というほどのこともないが、国王としての心得を学ぶ。

子供の養育・教育の様子が、記録として残っているのは教育関係者からすると
興味深いです。そして、ここでも、しっかり教育の主役は「教会関係者の独壇場」といってもよい状況。

126ページ

エリートたちは徴税請負人の事業に投資するか、官職、土地の購入に金を使うことを好んだのである。商工業者自身も、ひとたび蓄財に成功すると、同一の行動をとった。こうした資産運用の習慣を変えるのは実に難しいといえよう。

政治の外で活躍していたビジネスマンも、一度ある程度の元手ができると
「官」のビジネスで既得権益を得ようとする。
純粋民間の競争の中で、利ざやをはねるということが、今も昔も厳しいことを
うかがわせます。
今の日本の商業にも同じような体質があるのだろうかと。
ここを読んでいて思いました。
税金という形で、巨大なファンドをもって、基本的に使うことしか考えない
組織ですから、こういうところを、一度、顧客にしたら、あとは
なんとかなるという、ある種の合理性がある手法だと思います。

166ページ

フルリー及び彼の協力者たちがルイ少年に授けた教育は質の高い者だった。しかも、フルリーを始め、そのメンバーには聖職者が多かったので、当然、その教育は宗教色が濃いものであった。
類焼年の毎日の日課は習字、ラテン語、歴史。これに週3回のデッサン、地理、数学が付け加わっている。ときには宮廷の外に出て、科学者たちの実験室を訪れ、そこで化学の実験に立ち会ったり、天文台を見学したりしている。総じて、文化系より理科系の学科を好む少年だったようである。いずれにしても、歴代ブルボン王の中で、ルイ15世が最も優れた教育を受けていることは間違いない。

ここに出てくるフルリーさん。そもそもはルイ15世の家庭教師として
世に出たのですが、それがきっかけで、ルイ15世が大人になってから
本格的に政界でも活躍するようになってきます。
当時の政治エリートにとって、必要な教養がどういうものだったかを
伺い知ることができて、興味深いです。
ラテン語ですが。日本で勉強しようとすると、結構手間がかかるのかな。
でもKindleとGutenBerProjectの力を駆使したら、テキスト無料で
読むことだって、もう実現しています。
理科系の科目に関しても、手厚く、カリキュラムが組まれているあたりは
さすがだなと思います。
ある程度の、資本力がないと、実験などを組み込むのは難しいと
思っていましたが。
そういえば、片山さつきが、池田信夫との対談で、
今でも欧州のエリート教育の主軸には「歴史」がしっかりとカリキュラムに
組み込まれていると。そんなことをいっていたような。
YouTubeでEatonとかいう学校の様子を撮影した動画があったけれど、
たしか「キーツ」とかいう詩人の「デスマスク」を先生と学生が
眺めて、そのまま文学の授業に入るなんていうのもあったな。
フランスの教育といえば、「のだめカンタービレ」という漫画は
主人公が、たしかフランスにピアノ留学にいくというやつだった。


183ページ

ルイ15世は子供たちのうち、下の4人の娘をベルサイユから遠く離れた修道院の寄宿舎へ入れている。この決定の背後には、フルリーの助言があったに違いない。華美で風紀の乱れがちな宮廷で育てるよりも、この方が道徳上、宗教上、教育環境としてこのましい、といわれたのだろう。娘たちは修道院での寄宿生活の成果により、これから信心深い女性に成長する。王妃も信仰のあ篤い女性だったが、こうして主に王家の女性により、ベルサイユの宮廷内に経験なカトリック信仰が維持される。

宗教教育もしっかりうけたルイ15世は、結局、女性関係には
奔放な人になっていったようです。
ところが、その反動もあったのか、自分の子供たちには、こういう形で
養育環境を作っていった。

189ページ

富と権力のエリートがいて、このような文化施設の充実した都市に学問芸術文化が栄えないはずがない。これが18世紀中葉から後半にかけてのパリの状況である。富と権力のエリートが「芸術のパトロン」になり、パリの文化的繁栄に拍車をかける。雅やかなロココ様式の絵画を発注し、一流職人に家具調度品を作らせる。書物等を買い集め、豪華な装丁を施す。劇場にいって芝居を見る。こうしてエリートたちは個人的趣味の追求に堪能するのである。そしてもちろんこれは盛んな知的交流を必要とした。

東京や大阪でも、こういう人たちはきっといるのでしょう。
それがどういう人たちなのか。個人的にとても興味のあるところです。
たしか、サントリーホールとかは、サントリーの社長がお金を出して
つくった施設だったはず。
アメリカだったら、カーネギーホールか。
200年前に華やかであった富裕層ビジネスのスケッチなのだと思います。

208ページ

しかし、ここでポンパドゥール夫人の持ち前の天性が発揮される。慎重に振る舞うものの、大作家を疎んじるようでは国王の威信と栄光に関わると、彼らに恩恵を施すのである。このことは「啓蒙思想家」たちによる国王への厳しい批判を封じ込めたことを意味する。
啓蒙思想家」たちのリーダー、ヴォルテールに修史官(君主の治世史を書く)のポストを得てやり、「アカデミー・フランセーズ」入りを助けたのは、もちろん
ポンパドゥール夫人に他ならない。

たしか、Best&Brightestだったかな。
「ポストさえ、ちらつかせれば、どうにでもあやつれる」
みたいなことをいっていた人間が出てきました。
この当時のフランスも事情はあまり変わらなかった。
本をたくさん読んでいて、理論を組み立て、本を書いて広めることはできる。
でもそういう活動をするためのお金や地位を工面するというのはそれとは
別の問題。そして、「表現者」ほど、案外そういうことが苦手だったりする。
一般に流通しているテキストの表層だけ見ていても、少なくとも
今現在は必ず見失うというのも、今と昔でそんなにかわらないのだと
思います。

Mason&Dixon Chapter46
この章立ては、本筋はとにかくとして、
「文学的素養」というものが求められているようです。
あ、外国文学なんだなって、実感する。おそらく、日本人の感覚から
すると、「夏目」とか、「近松」なんだろうけど。

wikipedia:The Beggar's Opera

The piece satirized Italian opera, which had become popular in London. According to The New York Times: "Gay wrote the work more as an anti-opera than an opera, one of its attractions to its 18th-century London public being its lampooning of the Italian opera style and the English public's fascination with it."Instead of the grand music and themes of opera, the work uses familiar tunes and characters that were ordinary people. Some of the songs were by opera composers like Handel, but only the most popular of these were used. The audience could hum along with the music and identify with the characters. The story satirized politics, poverty and injustice, focusing on the theme of corruption at all levels of society.


三文オペラ (岩波文庫)

三文オペラ (岩波文庫)


wikipedia:The Tailor of Gloucester
wikipedia:ピーターラビット

1893年9月4日にビアトリクス・ポターが友人の息子に宛てた絵手紙が原型である(同日がピーターラビットの誕生日とされる)。1902年には初の本「The Tale of Peter Rabbit(邦題:ピーターラビットのおはなし ピーターうさぎ、ピーターうさぎのぼうけん)」が出版される。
ピーターラビットシリーズの累計発行部数は全世界で1億5000万部[1]を超え、日本の福音館書店版は1200万部が発行されている。また第1作の「ピーターラビットのおはなし」の発行部数は全世界で4500万部を超える。
日本では福音館書店版での「ピーターラビット」という表記が最も一般的なものとなっているが、日本以外の多くの国ではPeter Rabbitを各国の言語に翻訳したタイトルで出版されている。日本でも「ピーターうさぎ」というタイトルの翻訳も存在する(詳しくは後述)。

wikipedia:Singin' in the Rain

Singin' in the Rain is a 1952 American musical comedy film starring Gene Kelly, Donald O'Connor and Debbie Reynolds and directed by Gene Kelly and Stanley Donen, with Kelly also providing the choreography. It offers a lighthearted depiction of Hollywood, with the three stars portraying performers caught up in the transition from silent films to "talkies."


小説である以上、本質的にはEntertainmentなんだなと。
こうして、Wikiに並んでいるものを、みていくと、
「売れ筋」がしっかりそろっている。
古典にのっとっているかどうか。
出てくる、関連作品を実際に翻訳とかで読んでいくとかしようと
したら、それだけでえらいことになりそうです。
緻密に読んでいくなら、そういうこともするのだろうけど。
Against the Dayに比べると、そういう試みも悪くないのでは
ないかと思います。
ここまで読んでいて気がつきました。
ATDの時は、とにかく主人公が章立てが変わるごとにいれかわるし、
筋書きそのものが複雑だったので、途中、本当に読むのが
苦痛だったけど、M&Dはまだしも、主人公がM&Dでぶれないという
ことで、読みやすい。ATDみたいに、変なキャラが登場することは
あっても、そこにM&Dがいれば、こちらも視点が飛ぶことはない。
英語の文体が、200年前の擬古文という手法をとっているということが
ATDに比べたときの強烈なハードルだと思いますが、
それでもATDを読んでいる時に比べたら、常識的なアメリカ史を知っている
だけでも、そんなに、背景わからず、唖然とするということもないと
思います。それに、文体も「慣れ」というものがある。

展開の筋がぴょんぴょん飛ばないから。(厳密には飛びます。
M&Dは、語られている存在だからです。)
ピーターラビットの絵本などは、すでに日本語でも英語でも
著作権が切れたコンテンツなどで、英語初級の教材にはなるのかなと
思いました。やはり、時代がかった英語なので、単語などで
見慣れないものが登場しますが。


Mason&Dixonでいくたびか登場する「カール・リンネ」について。
彼の18世紀における位置について。

筆者 西村三郎

青森県弘前市生まれ。京大理学部卒。水産庁日本海区水産研究所に11年間勤務。京大理学部付属瀬戸臨海実験所勤務ののち、1977年、京大教養部助教授、1980年、教授、1992年、総合人間学部教授、1994年、定年退官、名誉教授。

scientist:西村三郎
読了。
こんな人がいたんだなって感じです。
上記の私的エッセーから、この西村氏の横顔も見てみたい。

私が京都大学を卒業した年は、学生の就職に関して今どころではない、たいへんな年だった。旧制大学の最後の学生と私を含めた新制大学の第1期生とが同時に卒業したからだ。そんななかで仲間たちは皆大学院に進んだが、私はどうしてもすぐに海の研究がしたくて、いろいろ探したあげく、当時教授としておられた市川衛先生の紹介で、新潟の水産研究所に日雇い所員として働き口を見つけた。給料はとてつもなく安かった。でも、とにかく海の仕事ができるようになったことで私はただただ幸せだった。

この人が大学を卒業したばかりといったら年代から推定しますに
1950年代ですから、まだ「戦後」ってのが継続していた感じかな。
でもそういう時代に、「研究」なんだか「業務」なんだか境界が
はっきりしない職業を見つけ出すのはお見事。
そういえば、「釣り馬鹿日誌」という映画で、水産研究所らしいところで
魚の養殖の研究をしているキャラクターがいたような気がする。
冗談ではなく、本当にモデルかと思った。

やがて、見よう見まねで論文を書くようになった。ほとんどが海の生き物に関するものだったが、若かった私はとにかくなんでもかんでも片っぱしからとりあげて書きまくった。多い年には1年に10篇以上も書いたことがある。今から思うと玉石混淆どころかダメな石ころばかり。でも、本人は大真面目で、まるで海に向かってラブレターを出すような気持ちで論文を書いていた。
 そうやっていろいろな海の生き物たちとつきあっているうちに、彼らの住む日本海というものが自分なりに見えてきたように思う。それをまとめて、『日本海の動物地理学的諸様相』(英文)という論文を仕上げ、理学博士の学位を授けられた。

つまり、研究所というところで、自分が実際に、ふれあった生物を題材に
して、「書いた」と。
私がこのBlogを書いていく動機のようなものとリンクするなと思ったので、
ここで引用します。
人が、自分の理想的なコミュニケーションとは何かということを突き詰めたとき。
それには色々な形があり得る。
「おはよう」といって、
「おはよう」と返事が返ってくる。
「楽しい」といって、
「楽しいね」という返事が返ってくる。
どこぞの公共広告機構のCMみたいな話ですが。
日常会話でのコミュニケーションがスムーズにいくことも大事ですが。
色々とあり得るコミュニケーションの形の中の一つに。
「自分が書いたものを通じて、コミュニケーションを取りたい」
というものもあり得る。
「おはよう」のかわりに、
「論文」と「論文」の交換、貸し借りによって成り立つ世界。
今にして思うと、私はそういうやりとりがしたかったし、
そういうやりとりに向いている人なんではないかなとか。
大学に限らず、「専門職」の世界というのは、ある程度、
こういう「論文」の数や質の積み重ねで評価されることをのぞむ
人たちがいるところ。
好みの問題だけど。私はそういう世界に重きを置いてしまう。

水産研究所には前後11年間いた。その後、京都大学の瀬戸臨海実験所を経て、同じ大学の教養部に移ることになった。ずっとそばにいた海を離れることになったのである。大学の講義などというものは、それまで一度も体系的にやったことがなかったので、自分なりにどのようなものにしようかといろいろ悩んだ。その結果、せっかく広い分野の学生たちに講義するのだから、狭い専門的な内容ではなく、より総合的なものをめざすことにした。とくに、自然と人間との両方に関連した内容にすること、それが私の考えた方針だった。
 (中略)
 最初に取り上げたのは、18世紀に現在の生物分類法の基礎を作り上げた、スウェーデンの博物学者リンネとその弟子たちのことだった。私は、新しい分野に入るにあたって、ダーウィンなどの有名な人たちではなく、その人なりにこつこつと努力した無名の人たちの業績を掘り起こしたいと心に決めていた。だからリンネの場合でも、本人よりも、今はあまり名前の知られていない彼の弟子たちに注目したのだった。

本書の内容を、手際よく紹介しようと思ったら、本人の力を借りるのが
一番といったところでしょうか。
安易ですが。
カール リンネ

当時、多くの分類法に使用された扱いにくい記述法をPhysalis angulataの簡潔で現在身近な種名に変えた。 より上位の分類群が作られ、簡単で規則的な方法で配列された。現在二名法として知られるシステムは、その200年前にボーアン兄弟により開発されたが、リンネは科学界へそれを普及させたと言われる。
リンネは個人的に常識的と感じた方法で分類群を命名した。例えば、人間はHomo sapiensだが、彼はまた2番目の人類、Homo troglodytes(現在、Pan troglodytesとして分類されているチンパンジー)を設定した。

ペール カルム
リンネの弟子。18世紀に新大陸アメリカへ渡り、動植物のサンプルを
収集する。
ペール フォッスコール
アフリカの北部 エジプト周辺のエリアなどをまわり。サンプルを集める。
結局、旅先で病死。
カール ペーテル ツゅんベリー
南アフリカや日本の植物の研究に貢献をした。(鎖国をしている江戸時代の
日本で活動していた。)

本書に登場する人たちはいずれも程度の差はあっても
外国にでかけて、その土地のめずらしい植物や動物のサンプルを持ち帰り、
さらに、物珍しい外国での経験などを「旅行記」「日記」という形に
まとめて、祖国に帰るという人生を通過している。
フォッスコールという人は、残念ながら、探検している土地で
流行病のおかげで、命を失うという悲惨なことになってしまった。
というわけで、21世紀の今には、彼らが残した
「植物や動物のスケッチ」であったり、
「旅行記の文献」であったり、
「学術論文」であったりする。
そういった「資料」が巨大な山のように残されている。
どうも、本書の筆者はこの巨大な山を、丁寧に読み解いたようです。
翻訳があまりない文献を、一般向けに見事に、まとめて、
紹介しています。
「旅行記」を書いている本人が、慣れぬ外国ならではのトラブルに
巻き込まれる場面なども、オリジナルの叙述の生々しさが
死なないように、書かれていると思います。
カルムという人は新大陸アメリカに渡った人でした。
そして、彼は、Mason&Dixonでも登場するベンジャミン・フランクリンとも
手紙のやりとりをしていたらしいことが、カルムの残した記録でわかるようです。
「ナイアガラの滝」などという、いまでもメジャーな観光スポットのところが、
当時は、まだどんな所か、入植者にはよくわかっていなかった。
そんな一人だったフランクリンは、滝までたどりついたカルムの残した
報告書で、滝の有様を知ったと。
インディアンにいつ襲撃をうけるかわかったものではないと、
びくついていたり。
アライグマの様子をおもしろおかしく書いていたり。
本書には、カルムが新大陸を探検していた時の動植物のスケッチも
掲載されている。
色々な動物や、観光名所的な自然の風景などが、描写されて出てくるので
なんとか、最後まで読めます。
Mason&Dixonは、実在した天文学者であり、実在した測量技師ですから、
おそらく、「外国人」として、アメリカに渡って、いろいろなものを
見聞したとき、このカルムと同じような感覚をもって、新大陸と
向き合っていたと読むこともできるでしょう。
本書は、Mason&Dixonの世界観に入り込めるかどうかを試すいい試金石に
なるのではないかと思います。
どうして、ピンチョンが、この18世紀という時代を小説の舞台に選んだのかが
なんとなくわかるような。
そんな気にさせてくれる構成になっています。
この小説に流れている色々なテーマの一端に触れることができるような
気がします。
ある種の「アナクロニズム」というか。
「昔はよかった」というか。「時代錯誤」ともいえます。
誰にも発見されていない「種」の「発見」という「具体的な一つ一つの実績」
を重んじることなく、
「とにもかくにも、どんな新種が発見されても、たちどころに、ふさわしい名称をつけて分類できる体系そのものをつくる」ということに躍起になる。
リンネが、この時代に学者としてやったことは、そういうことにつきると。

「新しい種」が「反例」の役割をはたして、あっというまに、
個人の「妄想」(スコラ的)が「作る体系」などというものは
ものの役に立たなくなる

植物を分類する枠組みを苦労して作っても、植物の多様性が予測を遙かに
こえるほどで、あっという間に、作られた分類では解決ができないものが
登場すると。
こういう考え方の人たちは、リンネが生きていた時代にも、有力に
存在して、今でも、まともな科学者であればあるほど、そうなのだと。

それは、100パーセント承知したうえで、
「リンネとその使徒たち」の筆者は、それでも「リンネは魅力的だ。」
という。
おもしろい具体例として、「社会契約論」を書いたルソーという思想家が
リンネのことを絶賛していたと。
ゲーテという文学者もそうだったと。
プロの科学者からは相手にされなくても、アマチュアにはなぜか
リンネのような人の考え方がうけるのだと。
これは、「ヒット」「社会現象」というものを起こそうと考えている
人にとっては、永遠に逃れることが出来ない課題なんだろうなと。

ピンチョンもそんなところに注目しながらストーリーを作っているのかなと。
そんな気がしました。
(4000字強)

Mason&Dixonで、興味深い話題を取り上げていきます。
今回のエントリーは「失われた古代の図書館」です。
wikipedia:Library of Alexandria

a policy of pulling the books off every ship that came into port. They kept the original texts and made copies to send back to their owners.This detail is informed by the fact that Alexandria, because of its man-made bidirectional port between the mainland and the Pharos island, welcomed trade from the East and West, and soon found itself the international hub for trade, as well as the leading producer of papyrus and, soon enough, books.
Other than collecting works from the past, the library was also home to a host of international scholars, well-patronized by the Ptolemaic dynasty with travel, lodging and stipends for their whole families. As a research institution, the library filled its stacks with new works in mathematics, astronomy, physics, natural sciences and other subjects. Its empirical standards applied in one of the first and certainly strongest homes for serious textual criticism.As the same text often existed in several different versions, comparative textual criticism was crucial for ensuring their veracity. Once ascertained, canonical copies would then be made for scholars, royalty and wealthy bibliophiles the world over, this commerce bringing income to the library.


こんな不思議な施設が、これだけ大昔にあったということで。
すでに、日本語の文献でもこの古代図書館をあつかったものは何冊か
あります。
人文系の本好きからしたら一度は「本屋」「図書館」に
思い入れがあるのではないでしょうか。
しかも、その「図書館」がそのコレクションを充実させるために
いろいろな方策を打っていたのならなおさら興味がわきます。
古代ギリシャや古代ローマに触れるトピックはピンチョンの作品の
至るところに登場します。
この図書館も、諸説の中の一つでは、かの有名なカエサルが戦争の遂行上、
やむを得ず、焼き払ったとか、そうではないとか。
そして、そのカエサルを虜にしたのがクレオパトラで。
彼女も、この先のMason&Dixonで登場するみたいです。
古代ギリシャの神話に出てくる神様の話題も数回登場します。
AgainstThe Dayとかでも、Philolausという古代ギリシャ哲学の文献に
出てくる人が登場します。(ピタゴラス学派とか。)

423Page Mason&Dixon

てこの法則 当時のイギリス人の誰もが知らない自然法則だったのを、昔のアレキサンドリア図書館から仕入れてきた知識をEmersonが、教えた。キリスト教徒がエジプトに侵入してきて、この図書館を破壊してしまう前に。

都合上、思いっきり、こわれた訳です。
Kindleのテキストをブログに転載するいい方法はないのだろうか?)
ジョナサン・スウィフト「桶物語」Tale of Tubを下敷きにした「パロディ」
らしい。
読んでいる時は、スウィフトの項目はスキップして読んだので、今ひとつ
この章立てはわかりづらかった。
やはり、翻訳はあったほうがいいのだろうかと思った。
どうもスウィフトも文学史の大物。ここだけ突き詰めようとしても
ものすごい手間になる。
どうやら、このスウィフトという人は、聖書の解釈や信仰生活のあり方を
巡る色々な立場の対立という現実を前にして、それを文学に仕立てあげた
人のようです。
プロテスタントの中でも、かなりとんがった人たちが建国したと
評価されるアメリカ建国の歴史を論じるには、うってつけの人物だという
ことなのでしょう。

どこにフォーカスを当てて、何を論じたいのか。
そういうことに注意して、書いていくことが、Blogでも大事だよなと
思います。
アレキサンドリア図書館についての最近の文献へのリンクなども
見たけど。参考文献の数は50冊くらい。
それくらいの蓄積があって、「論文」という形になる。
アメリカ独立戦争の政治的に重要な場面に居合わせる人たちについての
知識。(主に歴史)
ヨーロッパのキリスト教の歴史。
そして自然科学者の歴史。イギリスのグリーンWich天文台
詳しい図面まで載っているページまであります。
古代ギリシャ・ローマの知見。
Chain of Beingだったかな。

どうも走り読みという部分がありましたが。
たまさか、コンマが振ってあって、文構造がとりづらい、長い長い
1つの文章がわりに登場するようになっています。
どうしようもないので、「行きつ戻りつ」という読み方をしています。
「ここは挿入句だよな。」「この動詞の主語は、かなり前に戻るよな。」
「この不定詞をとっている動詞は、そうそうこれだ。」
とか。
「どんな言葉が省略されているのかな?」
とか。
これやりだすと、「構文分析」になるので、一つの章を読み終える時間が
増えてしまいます。
テキストも、スラスラとよめるものではない。その上に、押さえておきたい
背景知識は、どんどん積み上がる。
読めば読むほど、課題が増える。
そんな感じでしょうか。

センター試験対策の戦略論

【センター試験2013】“今”やるべきこと・できること|吉永賢一IS東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法と記憶のコツ
1月19日〜20日の大学入試センター試験実施まで40日を切り、受験勉強も追い込みの時期に入った。志望校合格に1歩でも近づくために、受験生が“今”できること、“今”やるべきことは何なのか? 東大をはじめとした難関大学や医学部受験生を1,000人以上指導した実績と、東大家庭教師シリーズなどの著書をもつ吉永賢一氏に聞いた。

−−センター試験で1点でも点数をあげるために、試験までおよそ1か月となった今やるべきことは何ですか?

 今やるべきことは、各自の段階に応じて3種類あります。

・(1)センターに必要な知識体系の理解・暗記+センター型の演習(分野別の形式)
・(2)センター型の演習(年度別の形式)
・(3)まだ覚えていない暗記事項の暗記

 これは、下へ行くほど、達成度の高い人向きの方法になります。現在、(1)の段階にいる人は、なるべくセンター試験当日までに、(3)の段階にまで進むようにしてください。

−−具体的に、どういった勉強を行えばよいのでしょうか?

(1)センターに必要な知識体系の理解・暗記+センター型の演習(分野別の形式)

 これは、年度別形式のセンター演習を行おうとしても、わからないことばかりで、「これでは、演習にならない」と感じる人のためのものです。

 目安としては、年度別の形式で、50%以下の得点になる科目です。教材としては、書店で入手する場合、直前対策用として出版されている本で、下記のような教材を準備してください。

・体系的な説明があるもの
・センターレベルを意識しているもの(レベルが高すぎないもの)

 そして、分野別に理解・暗記を行い、その範囲におけるセンター形式の演習を行います。これを、分野ごとに行って、科目全体の分野を終えたら、(2)の段階に進んでください。

 現在では、「必要な知識体系の理解・暗記用」の内容と、「その分野のセンター型の演習」が1冊でできる本も、いろいろと出版されています。

 ただ、その種の本では演習問題が少なすぎる場合もありますので、そう感じる場合は、分野別になっているセンター型の問題集で、問題の演習量を増やしてください。

(2)センター型の演習(年度別の形式)

 50%以上取れるようになった科目は、この段階になります。この段階では、間違えた問題を、どう復習するかが重要になります。おすすめの方法は、1年分ずつ解いていくということです。

 自己採点を終えたあとで、次の2つに分類してください。

・本番においても、できるようにならなくて良い問題
・本番では、得点したい問題

 この判別は、各自の目標得点や、その科目の得意不得意によって変わってきます。そして、得点したい問題の復習については、次の点を意識してください。

・この問題を解けるようになるには、何を理解したら良いか?
・この問題を解けるようになるには、何を覚えていたら良いか?

 そして、「理解」については、その「理解」が、どのような体系に位置するかを考えます。そして、間違えた部分だけではなく、その体系の前後の部分についても、理解度を確認し、薄いところがあれば理解を強化します。

 「覚えるべきこと」については、「どうやったら、試験場まで覚えていられるか?」を考えます。この際、一番大事なことは、「覚え方」をもつことです。これは、語呂合わせでも、繰り返しの復習でも、方法は何でもよいのですが、「試験場において、覚えていられるためのプラン」をもってください。

 そのような「覚え方」をもたずに、次の問題に進んでいくならば、「覚えなきゃ」と意識するだけで終わってしまいます。「覚えなきゃ」と意識するだけで、実際に覚えない場合は、焦りの気持ちが増すだけで、知識は増えないことになるわけです。

 「覚え方」では、ヘタな方法でも構いません。問題なのは、「覚え方をもたない」ことです。ヘタな方法でも何でもいいから、とにかく「覚え方」を作る習慣をつけます。

 また、以前に覚え方を作っておいたけれども、それを忘れていて、間違えることもあると思います。その場合には、その覚え方を復習し、覚え直すようにします。あるいは、その覚え方の出来があまりにも悪いと思われるならば、覚え方を作り直します。

 いずれにせよ、必要があれば、暗記チェック用の教材を自作します(カード、ノート等)。そして、その教材については、これからどのようにして復習していくかの計画も立ててください。

 そして、間違えた部分だけではなく、その知識を含む「覚え方」全体を確認するようにします。

 たとえば、イオン化傾向を語呂合わせで覚えているとします。その場合、もし「鉄」の場所を間違えたとしても、「鉄」がイオン化傾向で、どこに位置するかを確認するだけではなくて、その「覚え方」の全体を復習する方がよいのです。また、イオン化傾向について、覚えておくべき必須知識についても、その問題では問われていなくても、確認しておきます。

 なぜこういうことをするかというと、忘れていた知識の付近には、穴があることが多いからです。このような復習をすることで、ただ解説をざっと読んで終わらせている人とは、伸びのペースにおいて、大きく差をつけることができます。

 次の年度の問題を演習する前に、この「理解」と「暗記」を終わらせてください。どんどん解いてしまうのではなく、1年分ごとに、不足している理解や暗記事項を抽出し、そこを補うようにします。次の年度の問題を演習する際には、それまでに間違えた問題の類題が出ている場合、そこで得点できるように、特に意識します。

 10年分以上演習しても、得点が80%を超えない場合、「ここまで間違えた箇所について、関連する情報を理解したり、覚えたりしてきているか?」をチェックしてください。もちろん、理解すべきことの理解を飛ばしていたり、覚えるべきことを覚えずに、「ただ採点しただけ」の箇所を発見したら、復習し直します。

 これが終わったら、下記のどちらにするかを判断し、実行してください。

・さらに年度別の問題を収集して、年度別の形式の演習を続ける
・いったん、1の段階に戻って、再度知識を固め直す

(3)まだ覚えていない暗記事項の暗記

 80%を超えるようになった科目は、この段階です。教材としては、(1)と同じようなものを使うこともできます。その場合、まずは通読して、「(新たに)覚えるべきこと」にはマークしたり、書き出したりして「抽出」します。

 そして、「抽出」した箇所だけを繰り返して覚えるようにします。本全体を繰り返すと、時間がかかりすぎるからです。教材として、(2)と同じものを使うこともできます。その場合、どんどん解いていきます。そして、間違えた問題を抽出し、不足している理解事項と暗記事項を明確にします。

 メインは、暗記事項の不足の発見になると思いますが、もちろん、理解事項の不足が発見されたら、「本番前に発見されて、良かった!」と喜びながらまとめます。

 これらをある程度行うと、「理解すべきこと」「暗記すべきこと」がまとまるので、あとは、特にセンター型の演習を行わなくても、「この知識を繰り返しておけば大丈夫」という感覚が得られるはずです。

 なお、このとき、「もっとセンター型の演習をやっておいた方が良い」と感じられる場合は、さらにセンター型の演習を続けてください。

ピンチョンの"Mason&Dixon"を読み始めて、
ようやく折り返し地点まで着た。

このまま完走できたらいいなって思う。
フルマラソンの42.195Kmを走りきる選手は
最後の400メートルでは、スタートを切る競技場だけど。
あそこまで走りきるのが楽しみなのかなとか。
そんなことを思う。
ある程度、まとまって期間1冊のテキストに取り組んでいると、
色々な試行錯誤を特に自覚することなくても実行している。
一つ、Tipsというか。気がついたこと。
Amazonの書評でピンチョンの作品のコメントを見ていたら、
読者のInputが深ければ、深いほど、ピンチョンの作品を読んでいて
得られるものも大きいと。
そんな要旨が書かれていた。
確かに、その通りだよなと思う。もちろん、世の中で「傑作」といわれている
小説には、その場面場面のウィットを読者が楽しめるように「解説」が
付されている。読んだわけではないけど、「ユリシーズ」の「訳注」は半端な量ではないらしい。
しかし、ピンチョンの作品のように、おそろしく詳細な注釈が
Wikiでまとまっていて、無料で、ネットに接続しているPCならどこからでも
アクセスできるというのもあまりないのかもしれない。
(あったら教えて欲しい。)
というわけで、「若気の至り」(若くないですけど。)、
「よっしゃ、WikiからつながっているWikipediaのリンク記事は
出来る限り、全部読んでみよう!」
なんて、思って、途中まではやってみたのですが。
もちろん、歴史上の重要人物のほとんど「職歴」に近い詳細な歴史
を押さえることや、ジャカルタで使用されている伝統的な「刀」の歴史
なんてのを、隅から隅まで、押さえるなんてことも、
作品を読み進めていく上で悪いことではないと思う。
実際に、そういう「詳細な準備」をしてから、ピンチョンのテキストに向き合う
というのも一つの「手法」ではあると思う。
しかし、これをやってみて、直面した問題点が一つ。
基本的に、僕は、Wikiとピンチョンのテキスト(Kindle)を並行して
読むということはしない。
最初、Wikiだけすべて押さえてから、テキストの購読にはいり、
読んでいる最中に、Wikiで出てきたことが記憶から飛んでいても、とりあえず、
章の終わりまで、読み進めてしまうというスタイルでした。
こういうところで「性格」が出ます。
だから、せっかく、Wikiで時間をかけて、おさえてテキストの購読に
入っても、すっからかんに近い状態になっていることがあったということ。
どういう文脈で、Wikiに記載されている知識が使用されているのか
わからないまま「オレンジ公ウィリアム」に入っても、取っつきにくい。
時間をかけて、Wikiの調査をしたわりに、テキストでの扱いはものすごく
軽かったということもあります。
逆に、ここはそんなにたいしたことないのかなというWikiの知識が
テキストに至る所に、「読者が当然知っているであろう」と「筆者が
踏んでいる」ものとして出てくることもあります。
たとえば、
「植物学者 リンネ」
ある植物や食品の命名を登場させるときに、「リンネの分類法によると、XX」
みたいに出てくる。
はたして、こういう記述を読み進めるために、リンネについての
詳細な注釈を理解している必要があるかどうかは人によって考えが
別れるところとなりそう。
逆に、「ロビンソン・クルーソー」という項目などはどうか。
どうも、作品のなかで、RCという名前でそれっぽいのが出てくる。
ここら辺になってくると、「あらすじ」だけでもいいから、
ロビンソン・クルーソー」について知っていたほうがいいのかもしれないとか。
もしくは、この本の筆者であるデフォーという人についても詳しく知っていた
ほうがいいかどうかとか。そういうことが問題になってくる。
作品注、「サンドイッチ伯爵」なんてのも出てきます。

wikipedia:ジョン・モンタギュー (第4代サンドウィッチ伯爵)

The modern sandwich is named after Lord Sandwich, but the exact circumstances of its invention and original use are still the subject of debate. A rumour in a contemporary travel book called Tour to London by Pierre Jean Grosley formed the popular myth that bread and meat sustained Lord Sandwich at the gambling table.A very conversant gambler, Lord Sandwich did not take the time to have a meal during his long hours playing at the card table. Consequently, he would ask his servants to bring him slices of meat between two slices of bread; a habit well known among his gambling friends. Because John Montagu was the Earl of Sandwich others began to order "the same as Sandwich!" - the ‘sandwich’ was born. The sober alternative is provided by Sandwich's biographer, N. A. M. Rodger, who suggests Sandwich's commitments to the navy, to politics and the arts mean the first sandwich was more likely to have been consumed at his work desk.

ピンチョンの作品で、サンドイッチが食事として出てくるシーンが
あるのです。
では、この時にサンドイッチさんがどういう人なのかということを
読書を勧めるために必要なんだろうかということになります。
調べてみると、どうやらこの人、Mason&Dixonの時代とほぼかぶる形で
イギリス海軍でかなり上のほうにいた人みたいです。
Mason&Dixonでは、イギリスとフランスの海外植民地戦争というものが
重要な舞台設定の一つになっています。
だとすると、その背景の理解を深めるために、そんなに必要ではないけれど、
この人の職歴や経歴をざっとみることを通じて、イギリスの軍事史政治史を
押さえておくというのは、なんらかの形で本書の通読に資するのでは
ないかと思います。
今回のエントリーを起こそうと思ったのは、当時、海軍というイギリスの
中枢の組織で、これほどまでに重要なポストにいた人物が
時間が経過して現代になってみると、その功績や業績とはほとんど
関係ない、「サンドイッチの語源の立役者」としてその名前が
知られているということに、ひとつのユーモアを感じたからです。

というわけで、長くなりましたが、このようなサンドイッチさんとの
出会いなどを通じて、私がたどり着いた結論は、
Wikipediaには入り込まない。まずPynchonWikiを全体、ざっと
読んでから、本文に入る。」
本文に入ってみると、
「どうもWikiに書かれたことだけでは、今ひとつ、テキストを飲み込んだ気がしない」
ということがしばしば起こります。
その時は、意を決してWikipedia全文に入り込むと。
そして、さらにこれは知る必要があると思ったら、たとえば
Wikipediaの日本語の記事に飛ぶ。
そうすると、手頃な参考文献が列挙されていたりします。
いままでに「マリアテレジア」という女王さまの一生と、
「フランスの社会史」に関しては、Wikiからたどって、
「補強」しました。
このようにすることで、
より詳細に知りたいと思ったところは、もっと踏み込んでいき、
作品での扱われ方から確認して、あまり踏み込まなくてよさそうだと
思ったら、ざっと流すという形で。
読書のための準備にメリハリをつけていくという方針が立ってきたように
思います。
この時代に、よく愛用された「コーヒー豆のブランド」なども
登場します。
そこのWikipediaにいくと、世界中の有力なコーヒー豆のブランドが
列挙されています。それでは、一つ一つのコーヒー豆について詳細に
知る必要があるのかとか。
「知る必要がある」というのも一つの結論にはなりそうです。
登場する農作物なども「ではその作物や商品がどのように作られて、
事業化されていったのか」という観点から眺めると、
カリブ諸島というところがあって。
コロンブスがはじめて、入植をして。
アフリカの奴隷を送り込んで、砂糖の栽培をして・・・。
といった、当時の「社会構造」を決定していくような経緯に出会うことに
なります。
Mason&Dixonは、入植した人たちが、農作物を耕すために、常に
土地所有に飢えていたという背景がなければ、新大陸に渡ることも
なかったはずです。まだ、この先の話になりそうですが、
このような背景があって、入植者と入植者の間で、いろいろな複数の
対立軸をもって、土地を巡る争いをしていたから、「土地に線を引く」
必要が出てくるのです。
というように、「読んで」いくと、
なにげなく、出てくる「商品」ひとつでも、油断なく調べていくのが
肝要という結論にもなる。
でもいちいち、こんなことを几帳面に気にして、途中が読書を放棄するのも
いただけない。結局、手のかかる読者は、いまどき、かなり贅沢な
時間の使い方をしないと、実現できないといったことにもなるかも
わかりません。
本作品このような形で、読者を、かなり巨大な迷路というか、
ジャングルの前に、立たせます。
この長い旅から、何をつかむのかということも。
読者次第なんだろうなって。(4182文字)
書いていて、まだ機械仕掛けのアヒルの話をしていないとか。
酒を飲んでいるDixonの決め台詞"In the pursuit of happiness"を
「それ、まねしていい?」と聞いてくるトマスジェファソンとか。
怪しげな雰囲気の精神病院の話とか。
作品の筆者の「歴史哲学」のようなものや。
そうだ、あれも書いていない。
これも書いていない。
といったことになる。後味を引きずる作品になっています。
インターネット上で、検索できる「画像ファイル」も重要だったりします。
「馬車」の説明が、テキストだけで懇切丁寧に書かれていたりしますが、
日本人からいって、これで馬車の形を想像するのはつらい。
Wikipediaに写真がのっていなくても、
Google検索をかけたら、「馬車」の写真が出てきたり、
タバコの葉っぱが詰め込まれた「樽」の写真が出てきます。
こういうのも、「百聞は一見にしかず」に典型でしょう。
そういうわけで、Wiki以外の情報源も積極的に使うのが適切かと
思いました。

駿台の英語の先生のブログから引用。

道場主:英語の正しい表現をたくさん覚えて知っていれば、正しくないニセモノはすぐに見分けられるから、英文中の誤りなんかたちどころにわかってしまうんだ。
受講生:はい。
道場主:これは、喩えて言えば、ニセモノのダイヤを見分けるのと同じ理屈なんだ。ふだんから本物のダイヤを見慣れてよく知っていれば、ニセモノは見た瞬間に本物じゃないってわかるけど、本物を知らない者には、ニセモノを見抜くことはできないからな。