確率変数の独立性 その2 筑波大OCW

モーメント母関数

moment generating function

Xは確率変数

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2週間後の試験におきまして、

モーメント母関数は出題しようと考えております。

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平方完成という計算手法覚えていますか?

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収録時 真夏なので板書書いていて疲れるそうです。

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左側の積分は密度関数への全域の積分になっているので1になる。

あらためて、計算結果だけ書き出すと。

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この式をつかって、φの微分を1回、2回と実行していった結果が

下記板書

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暑くてなんだか頭が働かなくなってきた感じ。

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mgfをみたらcdfが一発でわかるということをいっています。

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板書にBとあるのは、Binominal2項の英語表記

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ぽあそん分布は再生性を持つ。

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足し合わせた物も正規分布になっていることが示されている。

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雨が降るかどうか気になっていたんですが。

やっぱり降りましたね。(ブログ筆者注 たしかに雨音が録音されている。(笑))

characteristic function

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学生のみなさんは、まだ複素関数論を突っ込んで学習していません。

これはカリキュラム上の都合です。

ですので、複素数を扱う特性関数についてはとりあえず、これくらいに。

こういう言い方しますと、なんだかこれで授業がおわりそうですが。

まだありますよ。

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晴れているうちにみなさん帰宅したいですよね。

今日はこの辺で。

来週は、中心極限定理大数の法則を。

それと試験について。どんなところを勉強して欲しいのかも

いいます。

それでは。

 

ついに、第2部「アメリカ」読了。
ついでに、M&DのすべてのWikiも読了。
Wikipediaのほうは飛んでいない。
ATDの時は途中からしか読めなかったけど、今回は
M&Dに関して、最初から最後まで、この注釈の山に頼ることに
なった。
今、覚えているだけでも、ペルセウス。星座早見表。生年月日と出生地を入力すると運命が出力される占いの話。ロビンフッドってどんな伝説だったのかとか。
さらに、いままでに登場した人物についてもまたリンクがはってある。
なぜか、「川釣り」のトピックまで登場しております。

とうとう、あとちょっとで、第2部Americaがおわるぞ。
M&Dがどうも名残惜しそうに帰国へ向けての準備をしているっぽい。
今生の別れのつもりで、ニューヨークに立ち寄ったりしている。
一方、Dixonは、なんだか知らないがSlaveDriverという人を
ひっぱたいたりしている。

どうも、Liberalistということなのだろうか。
新大陸から旧大陸へ向かう時の、船旅の無事を祈るような詩歌まで
登場している。
M&Dでは、結構詩歌が登場する。
AgainstTheDayでも少しは出てきていたかな。
なんとなく意味がわかる場合もあるけど、かなりの場合は
意味不明の場合が多いかな。
ここから、気を引き締めて、読み進めないと、なかなか始末をつける
ことができなかったりする。
そういえば、数学の研究者が一冊の論文を2年かけて読めみたいなこと
言う場合があったけど。
まあ、それも一つのやり方だわな。
たとえば、M&Dではユークリッドの名前がよく登場する。
だったら、「原論」を翻訳でもいいから、読みましょうということに
なったとたんに、一年くらいは軽く飛ぶでしょう。
シェークスピアが登場しているから、それもいきましょうと。
ブレヒトも出てきたら、彼も。
なんてことやったら、いつまでたってもおわらない。
でも、本当に、M&Dを読もうと思ったら、本当にそれくらいしないと
読んだとはいえないかもしれない。
そんなことを思いながら、関連しそうな書籍を1冊。

地図の科学 なぜ昔の人は地球が楕円だとわかった? 航空写真だけで地図をつくれないワケは!? (サイエンス・アイ新書)

地図の科学 なぜ昔の人は地球が楕円だとわかった? 航空写真だけで地図をつくれないワケは!? (サイエンス・アイ新書)


今日、仕事に関連して立ち寄ったところで、
「科学」という言葉の意味を丁寧に探求してみましょうという趣旨の
連載記事を見つけた。
「科学」の「科」は、細かく分けていくことだと。
「科学」の創始者にあたるニュートンとかは、「自然哲学者」だった。
自分たちのことをScientistとは言わなかったと。
自然哲学者が創始した学問の方法を、後代の研究者たちが小分けに
していったのだと。
そして、小分けにして、分業して、研究をどんどんすすめることで
膨大な、現代の科学技術の蓄積が気づかれたと。
そして、現代の「科学」という言葉は、主に「自然科学」という意味で
使われると。
果たして、これが、本当にこの言葉の意味・用法として妥当かどうかは
検討に値すると。
人文学といわれている分野でも、小分けにされたある分野について
営々と研究を続けているのなら、その一連の流れ、方法論は
「科学者」のそれではないかと。
そんなことも書いてあった。この連載の筆者は東大の地球物理出身。
さて、ではそんな意味の「科学」なわけですが。
本書の筆者は国土地理院というところで、何十年も地図をつくる
作業に従事した「地図」のプロフェッショナル。
M&Dに登場するDixonの職業は「測量士」
Surveyorsって出てくる。
本書では、実際の地形を、肉眼をはじめとして様々な道具、
そして数学・物理学の計算手法を駆使することで、
いろいろな媒体に「地図」として変換する作業の実際を解説している。
一番、基本的なところでは三角比、三角関数
実際の地形で、求めたい点、距離がわかっている線分を平たい地面に
設定して、辺と辺の角度を測量できれば、三角比の表を使うことで
物差しや巻き尺を、作業としてひろげることができないはずのところの
距離を正確に計算できる。
地図には等高線が引いてあったりする。
これも、地図の商売の人は、基準のポイントをたくさん設定して、
その基準点まで足を運び、目印にしたものが、目線をまっすぐにしたときに
どれくらいの位置に見えてくるかで、土地の段差を測量していたと。
ほんのちょっとの面積のエリアの地形を正確かつ的確に記述しようと
するときにどれくらいの手間暇がかかるのかということが
かなり細かく説明されている。
国土の地形がどのようになっているのかということは、
「戦争」という事態において、とても重要な情報になる。
だから、現在国土地理院という機関が担当している日本の地図を正確に
つくるという作業は、戦前は日本陸軍が担当していたのだそうだ。
これも、実際に本書を読んでいると、納得がいく。
興味深いことに、領有権をめぐって、外交上、軍事上一悶着が
ありそうなところほど、意地になって、測量をしっかりしようという
ことにもなるらしい。
正確に、その土地を理解していることによって、そのことを
「領有権」の根拠の一部にするのだと。
そういうことなのだろうか。こういったところは、学生時代に民法で
やった「取得時効」の話なんかを連想させるなと。
本書74ページ 地籍図について

「地籍図」は、土地所有者の協力を得て土地の境界を確認し、市区町村が測量して作る、土地管理のための主題図です。「1筆」(土地の区画)ごとの境界位置と面積を測量した地籍図とともに、土地の所有者、地番、地目、について調査した地籍簿もつくられます。地籍図と地籍簿は、法務局に送られて土地管理に利用されます。

M&Dが、わざわざイギリスから海を越えて、どうしてアメリカ大陸に
線を引きに来たのかということについては、以前のエントリーで
紹介したとおり。
「地形の情報」は、先述したように、「戦争」という事態において
大事。だから「軍事技術」と直結している。
本書でも、後半部分は、飛行機に写真機を搭載させて、パシャパシャと
撮影した写真をつなぎ合わせることでどうやって地図を作成していくのか
ということの具体的な手順が書かれている。
つまり、GoogeMapみたいなものが、どうやって作られるのかという
ことが書かれている。
結構、読んでいて、フラフラする部分です。
わかりやすく、ブレークダウンしているつもりかもしれませんが、
どうも、つかみにくい。
感覚だけ。
3次元の地形の情報を、どうやって2次元に落とし込むのかというところで
「地理」でやったメルカトル図法とか。モルワイデとか。懐かしい名前が
色々登場します。
この分野を丁寧に知ろうとするだけで、結構、大変かもしれません。
本書の巻末には参考文献ものっています。
そこまで掘るのかと。
まあM&Dを読み進めるのにここまでいく必要もないかな。
測量を職業とする人がやっている作業を、なるべく具体的なイメージを
もてるようにしようという趣旨でこんな本も読んでみました。
たしかに、時代は違うけど、この「地図の科学」を読んでいると、
「そういえば、M&Dでもそれっぽい場面があったような気がする」
というところがありました。
測量ポイントを設置して、そこで、いろいろなデータを取るなんていうのも
そうかな。
経度と緯度を正確に計るということが、死活的な重要問題だった時代の
こと。思いっきりM&Dの時代なのですが、そこで出てくるハリソンも
登場します。(2700文字)
もう一つ、本書を読んでいて、興味深かったところ。
それは、地図を作るという、複雑で、膨大な手間暇のかかる作業を
誰が負担してきたのかということ。
各国によって事情は違うだろうけど、日本ではまず軍。そして現在は
国土地理院
つまり、「政府」がやってきたのだと。
そして、筆者の説明を読む限り、外国と比較しても、かなりレベルの高い
地図が、インターネットで公開されていると。
本書を読んでいて、はじめて知ったけど、地図が持ち出し禁止に
なっている国は、今でもあるそうな。
これはすごい。びっくり。
まあ、Google I/OMapみたいなものが、世に出て、
よくよくみると、上空からやばいものまで見えているということも
話題になっていたから。
わからないでもない。
どこかの記事で、世界中で、携帯電話の端末を所持する人が増えて、
彼らが、地図に関連する情報について需要をもっているという
話題を取り上げていた。
携帯電話の端末がネットワークにつながっている。
その端末を所持している人が、現在どこにいるのかということがリアルタイムで
わかると。
いま、○○さんは、大阪のどこそこにいると。
しかもその時刻はいつなのかとかも、おそらくアプリ開発者は、
ネットワークプログラミングの知識を使えば、把握できる。
有る時刻に、どんな場所に所持者がいるのかということがわかるだけでも、
その人がどういう情報をほしがっているかは、色々と推測が
できるはずだと。
だとしたら、ネットワークにつながった端末をもっている人が集合的に
提供する、位置と時間の情報から判断して、効率的に、端末の所持者に
的確な情報を伝えることだって、地図アプリを通して可能でしょうと。
わかりやすいところでは、飲食店の情報か。
金曜日の夜の時間帯に梅田だったら、ほぼかなりの高確率で飲みに
行くわけでしょみたいな。
たしかに、ネットワークにつながった動く端末の持ち主が
これだけ、たくさん、大都市のエリアでいるようになるというのは
ここ数年の動きなのかもしれない。
そういう動きに対して、アプリの開発、携帯電話の端末向けサービスを提供する
側として、何か手を打てないのかなと。
そんなことも、M&Dとは関係ないけど、なんとなく気になったので、
書いてみたりする。(3700文字)
元を取った本の話
「地図の科学」とはあまり関連がないので、本来
別の「まなざし」連載に加えることかもしれないけど。
M&Dは、地図をつくる上で重要になる業務をする人たちのお話。
ピンチョンは、「地図」をテキストにして、「文学」を作ってしまった。
「地図」を読むということは、その道のプロはやっていることだけど、
文学にすることは、あまりなかったのかもしれない。本当に寡聞なので
違うかもしれない。
でも、創作のスタイルとして、そのように分析するのはそんなに
めちゃめちゃなことではないかなと。
僕が興味があるのは、「何を基本テキストにして、新しいものを作っていくのか?」
という方法そのもの。
直感的には、古典的なテキストに準拠するのが筋がいいのかなと。
そして、その古典的なテキストは、はたして、メジャーであったほうが
いいのかどうかというのも興味のあるところ。
M&DではJournalだったけど。はたして、このテキストはピンチョンの
作品の前は、メジャーな文献だったのだろうか。
そんなこともきにかかる。
PDFで流し読みしただけど、本当に、無機的に数字と、地形の概略が
書いてあるだけ。これが、ピンチョンの前に人気のあるテキストだったのだろうか。
面白いことが一杯書いてあったのだろうけど。
Journalは一種の「文献的なお宝」だったのだと。
それでは、このような「文献」のお宝。つきつめると、「古書」を
探求する道はというと。
これが、ちゃんとプロがいるわけというのが、リンクをはったところから
納得できる。(4300文字)

私の研究テーマは、十四世紀に天台僧によって書かれた『渓嵐拾葉集[けいらんしゅうようしゅう]』という書物だった。この本は当時(今でもそうだが)ほとんど文学研究者に知られていない資料で、仏教学や歴史学の方からは「あんな荒唐無稽なもの」といった、いささか冷たい視線で見られていたのである。余裕がないので本の内容には触れないが、この本にはいつくかの伝本が知られており、その基礎的研究を行うためには、まず諸伝本を博捜し、本文校訂をする必要があった。そこで、マスター一年生の私は、「よその本を見せていただく作法」なるものを先輩から伝授してもらい、『渓嵐拾葉集』のまとまった伝本を蔵する、滋賀県は坂本の叡山文庫へ向かったのである。

 こういうところに赴くのは初めてだということで、大学時代の恩師で文庫に顔が通じているA先生が来てくださることになった。いつもより化粧を薄くしてきた私の前で、先生はおもむろに大きな三冊の本をよっこらしょと机に乗せた。背表紙をのぞき込んで「てんだいしょせき・・・」と言いかけた私を制して、先生は「これはてんだいしょじゃくそうごうもくろく、と読む」と静かにのたもうた。この本は渋谷亮泰師が天台宗の寺院や個人のお宅に蔵されている仏書の書誌と奥書を網羅したもので、天台関係の資料を扱う上では欠かせないというのである。

M&Dの二人がインディアンと対話している。
よくありがちなパターンだけど、

インディアンは別に、白人入植者に
危害を加えたようなことは、先にはしていないけど、あなたたちは違い
ましたよね。

というやつです。

それに対して、M&Dがどういうことをいっているのかは、なんとなく
不明瞭。

印象に残ったのは、MechanicalDuckがまた登場したということ。
そして、よくしゃべるしゃべる。
自分の成り立ちのようなことを話しているらしい。
自分を発明した人の意図とか。
このアヒルは、M&Dのマスコットなんじゃないかと思う。
なんか、強烈に刺さる。

それと、サマルカンドとブカラという中央アジアの有名都市が
チラリと出てくるのも秀逸。
アマゾンで検索していると、西遊記にでてくるお坊さんの玄奘まで
出てくる。「旅」という点で、西遊記も、M&Dもつながりはある。
遠い、遠い異国の地に足を運んで、新しい知見を得るというもの。
土佐日記」は、たしか四国から京都へ戻る地方官僚の話。あれも
「旅」。
wikipedia:Lady Mary Wortley Montagu

Lady Mary Wortley Montagu (15 May 1689 – 21 August 1762) was an English aristocrat and writer. Montagu is today chiefly remembered for her letters, particularly her letters from Turkey, as wife to the British ambassador, which have been described by Billie Melman as “the very first example of a secular work by a woman about the Muslim Orient”

M&Dの二人が、どういう歴史的経緯の中で、
イギリスからわざわざ新大陸へ出張測量をすることになったのかという
説明が丁寧にされている。

地図に引いた「線」を、「リアルな土地」に引いていくという作業を
二人はひたすらやっていくわけですが、どういう順番で
その仕事がなされたのかということなども、説明あり。
M&D以前の、色々な時代ごとのアメリカ東部の地図なども
ダウンロードできます。
どういう順番で、新大陸で線引きをやったのかということが
そのままM&Dの旅路になるのでこの概略を押さえておくと、
自分が読んでいるM&Dの場所が、一体、どのあたりの作業のところなのかが
推測できる。
下記、引用部分は、ちょうど、私がM&Dを読んでいる時に
出くわしたところ。
彼らが、測量作業の最中にインディアンに出会って、測量の妨害に
会うというところ。

A brief history of the Mason-Dixon Line

The survey was supposed to extend a full five degrees of longitude (about 265 miles) to the west, but the Iroquois wanted the survey stopped. Negotiations between the Six Nations and William Johnson, the commissioner of Indian Affairs, lasted well into 1767. After a payment of 」500 to the Indians, Mason and Dixon finally got authorization in June 1767 to continue the survey from the forks of the Potomac near Cumberland. They started out with more than 100 men that summer, including an Indian escort party and a translator, Hugh Crawford, as they continued the survey westward from mile 162.

As the survey party opened the visto further westward, the Indians grew increasingly resentful of the intrusion into their lands. The survey team reached mile 219 at the Monongahela River in September. Twenty-six men quit the crew in fear of reprisals from Indians, leaving only fifteen axmen to continue clearing vistos for the survey until additional axmen could be sent from Fort Cumberland. On October 9th, 231 miles from the Post mark壇 West, the survey crossed the Great Warrior Path, the principal north-south Indian footpath in eastern North America. The Mohawks accompanying the survey said the warpath was the western extent of the commission with the chiefs of the Six Nations, and insisted the survey be terminated there. Realizing they had gone as far as they could, Mason and Dixon set up their zenith sector and corrected their latitude, and backtracked about 25 miles to reset their last marks. They left a stone pyramid at the westernmost point of their survey, 233 miles 17 chains and 48 links west of the Post mark壇 West in Bryan痴 field.

M&Dの二人が、測量で動き回ったエリアをたどる散歩コースみたいなものが
あるみたい。

The Mason-Dixon Trail is a 193-mile hiking trail, marked in light blue paint blazes. It begins at the intersection of Pennsylvania Route 1 and the Brandywine River in Chadds Ford, PA; runs southeast through Hockessin and Newark, DE; eastward though Elkton to Perryville and Havre de Grace, MD (although pedestrians are not allowed on the Rt. 40 bridge!); then northward up the west side of the Susquehanna into York County, PA, and proceeding northwest through York County through Gifford Pinchot State Park to connect with the Appalachian Trail at Whiskey Springs. The Mason-Dixon Trail does not actually follow any line that Mason and Dixon surveyed, but it痴 an interesting trail over diverse terrain.

なぜか、アメリカの公立の学校制度をめぐる裁判まで登場する。

In the middle of the 20th century the Mason-Dixon Line was the backdrop for one of the five school desegregation cases that were eventually consolidated into the US Supreme Court痴 Brown v. Board of Education of Topeka case. Until 1952, public education in Delaware was strictly segregated. Since the late 19th century, property taxes paid by whites in Delaware had funded whites-only schools, while property taxes paid by blacks funded blacks-only schools. In the 1910痴, P.S. duPont had financed the construction of schools for black children throughout Delaware, and effectively shamed the Legislature into providing better school facilities for whites as well. There was only high school for black children in the entire state幽oward High School. Persistent income disparities between blacks and whites insured persistent inequalities in public education. In 1950 the Bulah family had a vegetable stand at the corner of Valley Road and Limestone Road, and Shirley Bulah attended Hockessin Colored Elementary School 107, which had no bus service. The bus to Hockessin School 29, the white school, went right past the Bulah farm, and the Bulahs merely asked if Shirley could ride the bus to her own school. But Delaware law prohibited black and white children on the same school bus. 

Shirley痴 mother Sarah Bulah contacted Wilmington lawyer Louis Redding, who had recently won the Parker v. University of Delaware case forcing the University to admit blacks. In 1950, the Wilmington chapter of the NAACP had launched an effort to get black parents in and around Wilmington to register their children in white schools, but the children were turned away. Redding chose the Bulahs as plaintiffs in one of two test cases, and convinced Sarah Bulah to sue in Delaware痴 Chancery Court for Shirley痴 right to attend the white school (Bulah v. Gebhart). Parents of eight black children from Claymont filed a parallel suit (Belton v. Gebhart). The complaints argued that the school system violated the "separate but equal" clause in Delaware痴 Constitution (taken from Plessy v. Ferguson) because the white and black schools clearly were not equal. 

Redding knew that a court venue on the Mason-Dixon Line, with its local legacies of slavery and abolitionism, would be most likely to support integration. He argued the cases pro bono and the Wilmington NAACP paid the court costs. In 1952, Judge Collins Seitz found that the plaintiffs black schools were not equal to the white schools, and ordered the white schools to admit the plaintiff children. The Bulah v. Gebhart decision did not challenge the "separate but equal" doctrine directly, but it was the first time an American court found racial segregation in public schools to be unconstitutional. The state appealed Seitz痴 decision to the Delaware Supreme Court, where it was upheld. The state痴 appeal to the US Supreme Court was consolidated into the Brown v. Board case, which also upheld the decision. 

The town of Milford, Delaware, had riots when it integrated its schools immediately after the Brown decision. Elsewhere in Delaware, school integration proceeded slowly; the resistance to it was passive but pervasive. A decade after Brown, Delaware still had seventeen blacks-only school districts. As Wilmington痴 schools were integrated, upscale families, both black and white, were moving to the suburbs, leaving behind high-poverty, black-majority city neighborhoods. Wilmington痴 public school system, now serving a predominantly black, low-income population, was mired in corruption and failure.

Following a second round of civil rights litigation in the 1970痴, the US Third Circuit court imposed a desegregation plan on New Castle County in 1976, under which schools in Wilmington would teach grades 4, 5 and 6 for all children in the northern half of the county, while suburban schools would teach grades 1-3 and 7-12. Wilmington children would have nine years of busing to the suburbs; suburban children would have three years of busing to Wilmington. After the 1976 desegregation order, a spate of new private schools popped up in the suburbs. One third of all schoolchildren living within four districts around Wilmington now attend non-public schools.

In 1978 the Delaware legislature split the northern half of New Castle County into four large suburban districts, each to include a slice of Wilmington. The Brandywine, Red Clay Consolidated and Colonial districts are contiguous to Wilmington and serve adjacent city neighborhoods. The Christina district has two non-contiguous areas: the large Newark-Bear-Glasgow area and a high-poverty section of Wilmington about 10 miles distant on I-95.

In 1995, the federal court lifted the desegregation order, declaring that the county had achieved "unitary status." Wilmington痴 poorest communities remain predominantly black, but the urbanized Newark-New Castle corridor now has far more minority households than Wilmington. The school districts are committed to reducing black-white school achievement gaps as mandated under the federal No Child Left Behind Act (the 2000 reauthorization of the Elementary and Secondary Education Act).

Louis Redding and Collins Seitz both died in 1998. The city government building at 800 North French St. in Wilmington is named in Redding痴 honor.

Wikiから

Page 683

till the Moment they must pass over the Crest of the Savage Mountain, does there remain to them, contrary to Reason, against the Day, a measurable chance,
Pynchon uses the titles of his next two books in Mason & Dixon. Inherent Vice back on page 271 and Against the Day here.
Note, "against the day" has appeared numerous times in this novel, and is also a term seen in history books about this time period, meaning, making action against the current day, for tomorrow, in a way, credit of action.

Adam and Eve ate fruit from a Tree, and were enlighten'd. The Buddha sat beneath a Tree, and he was enlighten'd. NewTon,also sitting beneath a Tree, was hit by a falling Apple, - and he was enlighten'd. A quick overview suggest that Trees produce Enlightenment. Trees are not the Problem. The Forest is not an Agent of Darkness. But may be your Visto is.

アダムとイブは、木の実を食べた。そして「啓蒙」された。仏陀は木下に座っていた。そして彼は「啓蒙」された。ニュートンは、やはり木の下に座っていた。そして落ちてきたリンゴに、ぶつかった。そして彼も「啓蒙」された。以上のことから引き出せる結論は、木は「啓蒙」を生み出すということ。「木」は問題ではない。
森は、暗闇の代理人ではない。でも、君のVistoは、暗闇の代理人かもしれない。

Agentって何や?
Vistoって何だ?
Wikiみてもわからんでしょ。

やけにわかりやすい英文で、内容も、ユーモアがあったから書いてみる。
こんなのはまだいいほうで、本体のほうはもっとしっちゃかめっちゃな英文。
構文がとにかくとりにくい。
615ページ

it is necessary only to create, among the people one would rule,what we call...Bad History.NOthing will produce Bad history more directly nor brutally, than a drawing a Line, in particular a Right Line, the very Shape of Contempt,through the midst of aPeople,-to create thus a Distinction between'em-'tis the first stroke.-All else will follow as if predestine'd,unto War and Devastation.'

支配の対象になっている人々の中で、人々がいうところのBad Historyを作ることだけが必要だ。およそ、線、軽蔑の形をしている、とくに直角の線を、人々の間に引く(画定する。)ということほど、BadHistoryを直接的、かつ野蛮に生み出すものはない。線を引いてしまうことで、彼らの間に「区別」という概念が導入される。それが最初の一撃となる。他のことは、まるであらかじめ決められたかのように、続いて起こる。戦争と破壊へと。

Rightってどのように日本語にしたらいいのでしょうか。
こういう単語ほど、迷います。
Peopleが、本文中にだれを想定しているのかとか。
This is のつもりらしいところが、’tisとかになっているので、
いちいち、こういうところで、つっかかるようにできているわけ。

イギリスか、スコットランドの龍伝説が登場する。
中国のドラゴンのイメージとはちがう、どちらかというと
Wormなんだんと。Dixonはそんなことをいう。
なんでも、十字軍の遠征からかえってきた人が
里帰りをしたら、ドラゴン伝説で郷里は大変なことになっており。
一番最初にみた生き物を神に捧げるという誓いをたてる。
龍と戦う。

どうも勝利をおさめたっぽい。ところが、自分の実の父親が
近くを経過したおかげで、父が最初のLivingThingになってしまい、
なんと、神に捧げる犠牲は父親かいということで、ジレンマに陥るも、どうにかこうにか、やりおおせる。
地球の内部は空っぽなのかどうかの論争っぽいシーンも出てくる。
細かいところは省略するけど。
AgainstTheDayという別の作品で、乗り物が地球を奥深く
突き進んで、反対側にでるみたいな、SFっぽいシーンがあった。
ドラゴン伝説もそう。
たしか、オーストリアか、ドイツか、そこら辺を、主要な登場人物が
列車かなにか、移動しているときに、奇妙な怪獣がでてきたみたいな。
「ガリレオ」シリーズで、「容疑者Xの献身」をみていると、
「キリンの翼」で、刑事が、「数学の定理をまちがって教えると、
生徒は何度も、同じ間違いを繰り返す。」
と、事件関係者に数学の先生にそれとなく、諭すところが、笑いどころになると。
新春座談会「今だから話せる平清盛」: 月刊クラシック音楽探偵事務所

A:それに、「平家物語」についての最低限の知識が無いと、付いて行くのが微妙に難しいというのもありますよね。
K:「祇園精舎の〜」とか「壇ノ浦」くらいは知っていると思いたいですけど。
吉松:それもあるかなあ。最初に信西が穴の中に落ちていたのも、彼が死ぬとき穴の中だったことの伏線ですし、北面の武士に居た佐藤義清(のりきよ)が後の西行であることを知らなければ話が分からない。強訴の場面で出てくる鬼若(青木崇高。後の弁慶)もそう。そういうことがあちこちにありましたよね。

A:それから、若い頃のやんちゃな清盛が海賊船の帆柱に吊されるのって、「宮本武蔵」で武蔵が千年杉に吊されるシーンのオマージュですよね。先のシェークスピアもそうですけど、そういう本歌取りみたいなこともあちこちでやってる。
K:ちなみに、そのあとで清盛が叫ぶ「オレは海賊王になる!」というセリフは、「ONE PIECE」のルフィのセリフですし(笑)
吉松:それをいちいち「今のは、こういう意味です」なんて馬鹿丁寧な解説はしないから、分からない人は分からないまま。